變な人たちもいたものだ(皇紀弐千六百七十五年二月九日 四)

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 澁谷かどこかに集まつて、ISILに殺害された二人のパレード(?)か何かをやつてゐる人たちがたくさんゐます。不思議です。論點はそこではありません。
 彼等は自分で好きで行つて、國に迷惑をかけて殺されました。

 殺されたことには憤りを感じますし、哀悼の意を表します。

 でも、私なら捕まつた時點で自決します。

 それを「二度と起こらないやうに」などといふパレードを行う????

 違ふでせう。臣民が捕まつたら、實力で取り返しに行くことが主權國家です。つまり、軍の派遣です。
自分の子供が他の家に拉致されたら、私はどんな手段を使つてでも、助けに行きます。

 我が國は、今、十四歳の女の子が不埒なテロ國家にさらわれても助け出すことができない情けない國家なのです。眞の主權國家ではありません。

 なぜならば、國民主權や基本的人權などといふ世にも恐ろしい考へ方を普通に何も考へず受け容れてしまつてゐる愚かな臣民だらけだからです。

 なんだいあのパレードは???

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このページは、宝徳 健が2015年2月 9日 07:15に書いたブログ記事です。

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