他人が考えた物が与えられる

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   なんで、こんなことを思い出したんだろう。小学校に入ってすぐに、今は亡きおふくろに教えてもらったのが、辞書の引き方とナイフを使っての鉛筆削りでし た。勉強は、あまりうるさく言われませんでした。私は、あまり器用ではなく、鉛筆削りで削りたいのに、最初はそれを許してもらえませんでした。ナイフって 結構もって歩いていたよな~。
  自分で弓矢を作ったり、ある地域に住んだときなんか、雪が降ったときに、竹を切ってきて、削って、火で先を曲げて、友達と一緒にスキーをつくったこともあったっけ。

 ナイフは使わないにしても、友達と集まったときに「今日何して遊ぼうか?」と一生懸命考えたっけ。

 ゲームが悪いとは言わないけど、PSPやDS(実は私も使っているけど)など、他の人が考えた遊びをしてしまっている今の子供達と、創造性はどち らが高いのだろうか? これからの日本は、確実に人口減社会に入ります。生産物と金が余ってくる。そのときに、今までと同じようなことをやっていては国家 経済はなりたちません。

 創造性が求められます。大人も子供も。今の学校教育の偏差値がいい、悪いなど、今後、この国をつくっていくときにあまり価値がないような気がします。

 ゲームでいいだろうか? 魚釣りで、針がひっかかったとき、彼らはどうするんだろうか? ゲームは僕もつかっているけど・・・(右脳開発と料理のレシピと、将棋です)・・・・。

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このページは、宝徳 健が2007年2月24日 04:30に書いたブログ記事です。

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