善いことはなぜ広がらないか

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  鍵山秀三郎さんのVTRに「凡事徹底」というタイトルのものがあります。その中で、「悪党という言葉はあっても善党という言葉がない」とおっしゃっています。そのVTRを見て以来、なぜなんだろうと考え続けました。
  話は変わりますが、今年からひよこクラブの仲間と、まずは決めたことが毎日できるようになろうということで、十二個のルーティンを決めてやりはじめています。毎日、みんなから達成・未達成の報告が入るのでとても刺激になります。昨日書きましたように「千日の稽古を鍛とし、萬日の稽古を錬とする」です。まだまだ、数十日の私たちは、偉そうなことはいえません。

 でも、確実に違う自分達が出てきていることは事実です。ということは成長。成長するということはいいことと考え見ましょう。
 
 この善いことを進めることがとても苦しいのです。

 まだ正解かどうか分かりませんが、ルーティンを進めて、かなりできるようになって思ったことは、「ああ~、いいことをすることは苦しいんだ。悪いことや楽なことをすることは楽しい。だから、悪はすぐに結びつくけど、善いことは、苦しいからやりたくないからなかなか結びつかないのかなぁ」です。

 私はコーランはまだ読んでいませんが、聖書を読んでも、お釈迦様についての本を読んでも、結局は、楽なほうに流されて、とんでもない方向に進みやすい人間を戒めている。

 ひよこクラブの仲間と、うんと強くなって、よい価値観をつくって、少しずつ仲間を増やします。善党をつくってみたいな。そのためには、まず自分から。

 ちなみに、日本は、宗教というと、新興宗教などの影響から非常に悪い言葉にとらえる傾向があります。宗教観がない国だからこそ、それらのいたずら宗教が入りやすく、国民の心を痛めるからでしょう。
 先ほど言いましたように、コーランは読んでませんので、言えませんが、キリストにしても釈迦にしても、聖人の教えと考えれば、宗教というものの見方が違ってくるでしょう。実際に仏教の本などを読んでいても、人間として至極当たり前のことばかり書いています。世界三大聖人としてキリスト・釈迦ともうひとり、孔子が上げられているのもその感覚ですね。そういえば、あれだけ荒れて、あれだけ乱れた古代中国に、宗教が発生しなかったのは驚くべきことですね。今、気がついた。

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このページは、宝徳 健が2007年3月10日 07:57に書いたブログ記事です。

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