七夕

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   今日は七夕。去年も書きましたが、もう一度七夕について書きます。
 子供の頃、七夕というとなんかワクワクしたな~。今は、星なんて見えやしない。子供の頃の日本は、もっと平和で、自然にあふれて情緒がありました。何よ り、大人がもっとしっかりしていた。貧しかったけど、幸せ感は、あの頃の方があったような。私たち大人がもう少しちゃんと生きないと。
 七夕のことって、うちの子供知ってるかなあ?話ししてみよっと。
 というところで、去年のブログ見返したら、博多弁で七夕を説明していました。おもしろ。もう一度書きますね。昔の人ってすごい。星を見るだけで、こんな話をつくってしまう。私たちデジタル現代人がなくしてしまった能力です。
   御存知のように七夕伝説のおこりは中国です。漢(後漢)の時代に出来て、南北朝の時代に説話として完成したようです。日本には、奈良時代に遣唐使によってもたらされました。日本書紀によれば691年に持統天皇が宮廷で七夕の宴を催されたのが最初とされています。

 むかしむかし、天帝という神様が星空を支配しとったげな。そのころくさ、天の川の西の岸に、織女(しょくじょ)という天帝の娘が住んどったった い。織女は、機織(はたおり)がほんなごつ上手でくさ、彼女の織った布は雲錦って呼ばれとったとたい。色もきれいでくさ、丈夫やし着心地もよかったけん、 みんなに人気があったったい。すごか~。

 それでくさ、もう一方の東の岸にはくさ、牛飼いの青年、牽牛(けんぎゅう)が住んどったったい。牽牛は、毎日、天の川で牛を洗って、おいしい草を牛に食べさせよったとよ。よ~う牛の面倒ば見る働き者のよか青年やったったい。

 天帝はくさ、毎日働いてばかりいる娘ば心配しよんしゃったと。はよ、婿さんば見つけて嫁にやらなと、あせりよったったい。そやけんくさ、川の向こうに住んじょる、牽牛をひきあわせようとしよんしゃった。

天帝「おまえたちふたりは、よう働くけん、結婚しやい。牽牛、うちの娘がもろうちゃりやい」
牽牛「そげんこつ、夢のような話があってよかとやろうか。すいまっしぇ~ん。ありがとうございます」と言って織女をもらい、ふたりはめでたく夫婦になったと。

 ところがくさ、夫婦になったとたん、仲のよすぎて、朝から晩までいちゃいちゃして働かんくなったげな。天帝は、怒ってくさ

「なんばしよっとね! 仕事ばせんね! 働かんね!」 と叱ったばってん、ふたりは「わかっとっちゃ、明日からやるっちゃ」と答えるばかりで、いっちょん働かんったい。

 織女が布を織らんくなったけんくさ、機織機はホコリのすごかとたい。天界には新しい布がのうなってしもうたと。牛もくさ、牽牛が面倒みんもんやけん、やせて倒れてしもうたったい。

 天帝は、怒ってしもうて、ふたりを離してしもうたと。ばってん、離してずっと会えんかったらかわいそうやけん、一年に一度、7月7日の日だけ天の川をわたって会うことを許しんしゃったったい。よか話しばい。

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このページは、宝徳 健が2007年7月 7日 04:40に書いたブログ記事です。

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