大学

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 昨日から、以下の文をシリーズで見ていきます。

「秦誓(しんせい)に曰わく、若(も)し一个(いっか)の臣有らんに断断(だんだん)として他技(たぎ)無く、其の心休休(きゅうきゅう)として、 其れ容(い)るる有るが如し。人の技(ぎ)有る、己(おのれ)之れ有るが若(ごと)く、人の彦聖(げんせい)なる其の心之を好(よ)みし、啻(ただ)に其 の口より出ずるが如きのみならず、寔(まこと)に能(よ)く之を容る。以て能く我が子孫黎民(しそんれいみん)を保(やす)んぜん。尚(こいねが)わくば 亦利あらん哉(かな)。」

    「秦誓(しんせい)に曰わく」は、昨日申し上げた秦の王の誓いです。

 「若(も)し一个(いっか)の臣有らんに断断(だんだん)として他技(たぎ)無く」は、「ここに一人の重臣がいる。その人は、真面目一徹で特別な 才能もない。

 「其の心休休(きゅうきゅう)として、其れ容(い)るる有るが如し」は、「心はゆったりとして、すべての「ものをそこへ包み込むような包容力があ る」。

 「人の技(ぎ)有る、己(おのれ)之れ有るが若(ごと)く」は、「人が優れた技能を持っていると思えば、自分が之を有するように快く受け入れる」

 「人の彦聖(げんせい)なる其の心之を好(よ)みし」は、「立派な人物だと評判の人がいれば、その人を心から好む」

 「啻(ただ)に其の口より出ずるが如きのみならず、寔(まこと)に能(よ)く之を容る」は、「単に立派だなあと口先だけでいうのではなく。心から 包み込む」

 「以て能く我が子孫黎民(しそんれいみん)を保(やす)んぜん。尚(こいねが)わくば亦利あらん哉(かな)」は、「こういう人が上にいたら、自分 の子孫や一般の民を安んずることができる。そこからいろいろな働きが出て、国全体にも大きな利益を与えることができるだろう」

 ということで、この秦王は、こういう人物でありたいなぁ、と言っています。それを大学で紹介しています。だんだん、大学も終わりに近づいてきてい ます。明日は、昨日・今日の逆のことを解説します。

 要は、人は、大学のテーマである「己を修めることによって人を治める」という在り方を昔の書物を引き合いに出して説明しています。

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このページは、宝徳 健が2009年5月 5日 03:02に書いたブログ記事です。

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