戦国策

| コメント(0) | トラックバック(0)
   このシリーズは左下のカテゴリー「戦国策」に格納されています。シリーズでご覧になりたい方はどうぞ。

 まず、蘇秦と張儀の話の続きです。尋ねてきた張儀を蘇秦は冷たくあしらいます。張儀は、腹が立って、腹が立ってなりません。蘇秦に目にものみせて くれんと、発奮します。蘇秦がいる趙の国をやっつけるには秦以外にありません。張儀は秦に向かいました。これからが面白いのです。明日ね。

   さて、楚王に意見を述べた陳軫ですが、受け入れられません。

 楚王は、斉に使者を出して、国交を断ちました。その使者の帰国を待ちきれず、かさ ねてダメ押しの使者を出しました。張儀は秦に帰りました。そして、斉に使者をやって、ひそかによしみを通じました。一方、楚王は、約束の土地を受け取るべ く将軍を秦に派遣しました。ところが、張儀は病気と称して会見しようとしません。その報告を受けた楚王は、「張儀は、まだわしが斉との国交を断交していな いと思っているのか」と、ご丁寧にも、斉に勇士を派遣して、斉王を面罵させました。斉と楚が完全に手を切ったことを知って、張儀は、ようやく腰を上げ楚の 使者と会いました。

 さあ、ここからが張儀の外交戦略です。孫子の兵法にも「兵は詭道なり」とあります。戦争とはだましあいだ、という意味です。日本人は真面目すぎま すから、外交においても、謀略というものを使いません。でも、相手が勝手に負ける状況をつくるのは、軍隊を出して戦争をして消耗をする事よりもよっぽど大 切です。今の、中国なんか詭道だらけです。この戦国策には兵は詭道なりがたくさんあります。では、明日。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/938

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2009年5月31日 07:35に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「和歌」です。

次のブログ記事は「大笑いの一日(5月30日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。