和歌

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 引き続き、戦没学徒の方の歌です。寺尾博之さんです。

国の為 つとめつくして ますらをは 今帰りきぬ たらちねの手に
ものいはぬ せがれをいだく その母の小さき姿の ただに悲しき
幾年月 心痛めて そだてけむ まがりし姿 をろがみまつる
やがてかく 弟の遺骨を 迎へます わがたらちねの 上を思ひぬ
君のため ささげし命 とこしえへに 花とひらきて 万代(よろづよ)までも


  誰も、好んで戦争をする人はいません。日本は侵略したくて戦争をしたのではありません。自衛戦争です。これは敵国の大将、マッカーサーがアメリカの 国会で、はっきりと「日本のあの戦争は自衛戦争だった」と明言しています。アメリカは、共産主義の恐さを日本ほど知らなかったのですね。日本は、すべてと いっていいほど、共産主義の総本山、モスクワコミンテルンの謀略にはまっています。
 戦争はしたくない。でも、愛する人や国は守りたい。寺尾さんの弟さんは戦死しています。移動の時に、ある母が戦死した息子さんの遺骨を胸にぶら下げてい るのを見たとき、自分や弟さんもいずれこうなり、母を悲しませると考え詠んだ歌です。せつないまでの思いが伝わってきます。こういう方々がいたから、今、 私たちは平和に暮らしていることを思い出しましょう。

 さて、拙首です。

 大好きな 先輩夫婦が 電話くれる あいもかわらず ケンボウと呼ばれて

 二十五年前くらいによくお付き合いさせていただいた先輩ご夫婦が、関西に引っ越してきたから家に遊びにおいでと久し振りにお電話をくれました。ご 主人とは五年くらいまえに一度食事をしましたが、百合子姉さんとは、ほんと二十五年ぶりぐらいです。手紙を出し続けたから、覚えておいてくれたのかな。学生時代、姉さんからは「ケンボウ」と呼ばれていました。今回の電話でも、そう呼んでいただきました。

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このページは、宝徳 健が2009年6月 9日 00:31に書いたブログ記事です。

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