戦国策解説

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 さて、楚の国の話が続いています。楚の国は南の揚子江の方にあるので、黄河文明が主流だった中国では、最初、周王朝から国として認められていませんでした。でも、力をつけて国として認められたのです。さて、楚には戦国四君の一人と言われる「春申君(しゅんしんくん)」という人がいました。

(戦国四君)
魏の信陵君(しんりょうくん)
趙の平原君(へいげんくん)
楚の春申君(しゅんしんくん)
斉の孟嘗君(もうしょうくん)

です。戦国策の本文に入る前に、今回は、楚の春申君についての予備知識を書きます。

春申君は、楚の考烈王に仕え、二十五年間宰相の地位にありました。でも、考烈王が没した後、王妃の兄、李園の手にかかって刺殺されてしまいます。王妃の兄? でも、この李園は、かつて春申君の家来だったのです。なのになぜ・・・?


 戦国策では書かれていないのですが、史記では、このことを詳しく書いています。

 李園はもと春申君の家臣で、その妹は春申君の妾でした。あるとき、考烈王が、その妾を気に入ってしまいました。春申君にその妾を所望しました。昔の中国の女性の扱い方からすれば、そんなこと別にどうってことがないのですが、一つ困ったことがおきました。それは、その妾のおなかには春申君の子供が宿っていたのです。

 李園は、春申君に入れ知恵をして、その子が生まれたら、あなたの子が王になると言いました。賢明な春申君ですが、賢者も千にひとつは過ちを犯す、という言葉通り、その話に乗ってしまいます。そして、なんと、妾は王妃になったのです。後の幽王を産みました。

 妹の出世とともに重用されるようになった李園は、秘密を知っている春申君が邪魔になります。それを知った春申君の友人は、春申君に忠告をしましたが、とりあいませんでした。そして、春申君はあっけない最後をとげました。

 中国の古代史をみてみると、男を狂わすのは、女と金。みんなそれでだめになっています。お金持ってなくてよかった。もてなくてよかった。

 さて、楚の話はここまでです。次回からは、趙の話です。「ちょう」と読みます。




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このページは、宝徳 健が2009年11月28日 08:50に書いたブログ記事です。

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