福岡高校テニス部日誌を書き終えて

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 昨日で、福岡高校テニス部日誌を書き終えました。

 不思議なことに、書いていると、忘れていたことやあいまいだったことが思い出されてきました。人の顔もはっきりと思い出しながら書けました。あれだけ毎日一緒にいたんですものね。同期やマネジャーからもお手紙をいただきました。

 私たち福岡高校テニス部は、部長先生はいらっしゃいましたが、部活に来られるのは、試合のときだけです。監督もコーチもいませんでした。体育会クラブの高校生にとって、指導者とは、ほんとうに大切です。そういう人たちがいないなか、自分達で四苦八苦しながら全国大会までいったことを私は誇りに思っています。

 私の同期には、才能溢れる人がたくさんいました。「たられば」はいけませんが、もし、指導者がいたら、私たちはもっと全国大会の上位にまでいけたでしょう。

 全国大会の最終予選である福岡県大会が近づくと、キャプテンをしていた私は、インターハイに出場できるかどうかというギリギリのところで、胃が痛くなり、また、プレッシャーから、フォアハンドがまったく打てないという最悪の調子になってしまいました。それでも、仲間が救ってくれて、なんとかみんなで出場を勝ち取りました。

 また、この全国大会出場は、私たちレギュラーだけが勝ち取ったものではありません。支えてくれた同期、自分達の練習時間を削って、玉拾いやコート整備をはじめとした様々なサポートをしてくれた下級生、献身的にサポートしてくれた生田さん(旧姓)を筆頭とするマネジャーたち。これらの人々の支えがなければ、なしえなかったことです。

 昨今の高校スポーツをみると、これが高校生に与えられることかという贅沢な環境があります。野球など、1週間も2週間も前から甲子園入りしたしています。ユニフォームや道具なども、とても良いものが使われています。

 私たちのウェアは、先輩のお古でした。靴は一番安いスイングベア(2000円ぐらい)。コートに塩化カリウムをまくお金もありません。全国大会へは、通勤電車を乗り継いでいきました。それでも、仲間と一緒に行けることに至福の喜びを感じましたし、OBが新しいウェアを買ってくれて天にも昇る気持ちでした。

 今、当事の同期と一つ下のメンバーの住所を探しています。そして、この福岡高校テニス部日誌を簡易製本してみんなに配ります。

 当事のストイックな生活を思い出しました。日誌を書き、手紙を書くという、今、やり始めた生活をもう既にやっていたのですね。目標を持つことの大切さをその後忘れてしまってくやしくて仕方がありません。

 いろいろなことを思い出させてくれて、そして、勇気を与えてくれた、この福岡高校テニス部日誌と関係する総ての人々に感謝合掌!


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このページは、宝徳 健が2009年11月 1日 09:07に書いたブログ記事です。

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