貞観政要

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 明の太宗が行った理想の政治とされている貞観政要をシリーズで掲載しています。源頼朝、徳川家康もお手本にしたといわれています。

 今日のテーマは「高殿の造営を許さず」です。
 貞観二年に、重臣たちが奏上しました。

「『礼記』によれば『夏の終わりは高殿に住むべし』とあります。ところで今、いっこうに残暑がおとろえないうちに、早や秋の長雨が始まろうとしています。宮中は湿気でじめじめし、お体によくありません。なにごと、急ぎ高殿をつくられて、そちらのほうにお移りください」

 太宗は言いました。

「知ってのように、わたしは神経痛に悩まされていて、湿気がよくないことは承知している。しかしながら、そちたちの願いを入れれば、莫大な費用がかかるであろう。昔、漢の文帝が高殿をつくろうとしたとき、その費用が普通の家十軒分に相当すると知って、中止してしまったという。私の徳は文帝に遠く及ばないのに、使う費用だけ遥かに多いとあっては、人民の父母であるべき天子としては失格ではあるまいか」

 重臣たちは、ぜひにと、再三にわたって願い出たが、太宗は最後まで首を縦に振らなりませんでした。

【宝徳の所見(参考文献とは関係ありません)】
 「公」に関係する人は、お金に関しては清貧である必要があります。古代中国の政治家と官僚を褒め称える言葉に「家に余罪なし」というものがあります。日本でも、「井戸塀政治」という言葉があります。まあ、公のことはおいといて、私たち民もそうですね。自分で稼いだ金だからいいじゃないかという発想に陥りがちです。そして、ちょっと成功すると贅沢をしはじめます。
 別に他人に文句を言われる筋合いのものではありませんが、これがいけないのです。心が腐ってしまって、よい仕事ができなくなります。創業時の私のように・・・。

 お金は魔物です。そして、自分が持っているお金は、関係する全ての人が自分に貸してくれているぐらいの気持ちでないと、必ず、天罰が下ります。このことは分かっているのに、人間は、昔から同じミスを繰り返しています。




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このページは、宝徳 健が2009年11月 2日 08:41に書いたブログ記事です。

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