戦国策

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 この戦国策は、政治と外交のお手本です。ともすれば、国がつぶれてしまうという状況が常にあるわけです。でも、戦争ばかりしていては、国はすぐにでも疲弊してしまいます。孫子の兵法にもある「兵は詭道なり(戦争は騙しあいである)」という考え方を用いた、もうひとつの戦争「外交」によって必死に相手を弱めようとします。
 こんな手練手管の手法を知っている中国と、何千年も平和を保ってきた日本では、今でも外交でやられっぱなしです。「侵略戦争」「南京大虐殺」「靖国神社問題」も、ありもしないことなどで、武力を使わずに日本を弱めようとしている。それにのせられてしまっている政府。何よりも、おバカなのはマスコミです。まったく不勉強で、「正しいこと」と「自分たちの思い込み」を混同してしまっています。次に悪いのが、国民。不勉強なまま、そのマスコミに世論誘導させられてしまっています。

 さて、この戦国策は、戦国時代最大の戦いといわれる、秦と趙の「長平の戦い」に場面を写します。紀元前262年から3年間、趙と秦は長平の戦いをしました。結果は趙の惨敗です。戦死者5万人、降伏した将兵40万人は子供240人を除いてことごとく生き埋めにされました。大勝した秦は、いったん兵をひき、講和条約を持ち出しました。

 この話は長いので、何回かに分けて掲載します。でも、ここに出てくる趙王は、鳩山みたいに優柔不断なので、読んでいると吹き出してしまいます。
 秦は長平の戦いで、さんざん趙を打ち破り、兵を引き上げてから、講和の条件として城を六つ要求してきました。趙は方針を決めかねました。秦から、使者がやってきました。名前を楼緩(ろうかん)といいます。この楼緩は、もともと趙の家臣でした。先先代の王のときに、対秦工作のため秦に派遣されました。秦では大臣もつとめました。

王「秦に城を与えるべきか」
楼「わたしからはなんとも申し上げられません」
王「そうかも知れないが、あなた個人の考え方を聞きたいのだ」
楼「あなたは、公甫文伯(こうほぶんぱく)の母の話を知っていますか?」
王「いいや」

 さてさて、今日、ここで書いてもいいのですが、ふっふっふ~。ちょっとみなさんをじらします。見事な婉曲表現で王を納得させます。ストレートで言うよりも、こういう表現の方が、人を納得させられますね。特に上司は。明日のお楽しみ。つづく。

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このページは、宝徳 健が2009年12月18日 08:38に書いたブログ記事です。

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