どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝

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 臨終まぎわの助の話が続きます。

 
「そのお武家さんは、玄吉を抱き取るとまた来た方へもどっていきました。互いに名乗りませんでした。息子の将来にもめどがついてホッとして、行徳の浜から船で江戸に渡り、この大塚に流れ着き、貧乏後家の入り婿になり、十八年間貧乏に暮らしをしてまいりましたが、去年なくなった妻にも息子のことは話しませんでした。でも、いつも、つつがなく育ってくれよと祈り続けたことには変わりはありません。きくところによると、鎌倉どのは、両管領と不和になり、鎌倉から古河に移られ、近ごろは千葉の城におわすとか。それならば、わが子玄吉も、養父も、古河か千葉におるかもしれませぬ。信乃さま、もし古河殿のところへ参られる折があったら、玄吉の消息をきいていただきとうございます。もう十八年も経って、親子でも顔におぼえはないでしょうが、玄吉は、生まれながら右の頬の先に牡丹の花の形の痣(あざ)が御座います。また、お七夜(しちや)のお祝いに、私の釣った鯛に庖丁を入れたところ、肴の腹に玉があって『信』という文字がついていました。これをへその緒と一緒にお守り袋に入れて、首に結わえておきました。きっと、まだ持っていると思います。こんなんことをお願いしてすみません。信乃さまの顔をみたら、気持ちもさっぱりしました。これで気持ちを楽にしてあの世に行けます」

 さ~あ、三人目~~~。犬塚信乃の「孝」、犬川荘助義任(しょうすけ よしとう)の「義」、まだ名前は分かりませんが「信」。三人目です。「仁義礼智忠信孝悌」なので、あと「仁例忠悌」ですね。

 話を戻して、その夜、信乃は額蔵だけに糠助の遺言を打ち明けます。額蔵もびっくりします。ふたりはささやきあいました。「その玄吉とやらにも会いたいな。私たちの仲間にちがいない」。

 糠助は、その夜明けになくなりました。

 ここから少し、ストーリー展開が早くなります。楽しみですね。つづく。

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このページは、宝徳 健が2009年12月23日 12:22に書いたブログ記事です。

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