貞観政要

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 指導者の理想の政治として徳川家康も北条政子も読んだといわれる、唐の太宗の政治「貞観の治」を紹介した、貞観政要を、時々掲載しています。

 唐の太宗の治世は二十四年とそんなに長くありません。でも、トップの座についたときは、だれでもそれなりの緊張感を覚え、やる気を出して仕事に取り組みます。でも、時を経るにしたがい、気持ちが緩んでいきます。太宗もそうだったみたいです。
 側近の魏徴がそれを戒めます。今日のテーマは「初心、忘るべからず」です。
 貞観十三年のことです。この頃の太宗は即位当初の倹約を忘れて、贅沢な生活に染まり出しました。それを心配した魏徴が、上申書を奉って太宗を諌めました。今日は、その上申書の内容です。

「古来、天命を受けて国を興した帝王を見ていますと、いずれも帝位を子々孫々に伝えようと、子孫のために立派な手本を残しました。すなわち、朝廷にあって天下の政治を執り行うさい、生活については、純朴を奨励して浮華を退け、人材については、誠実な人物を重視して口先だけの人間を退けました。また、施設については、贅沢を戒めて倹約を旨とし、産物については、食料や衣類を重視して珍奇な品には目もくれませんでした。天命を受けて帝位についた当初はだれしもこのようなやり方で政治にあたったのですが、世の中が安定してくるにつれてこれが守られなくなり、やがて破滅するのです。

 なぜそうなるのでしょうか。ほかでもありません。この上なく高い地位について四海の富を我が物とし、どんな発言をしても反論する者はなく、どんな振る舞いに及んでも逆らう者はいません。そのあげく私情に流されて正しい道を踏み外し、私欲が頭をもたげて己のわがままがつのっていくからです。古語にも『知ることは難しくない。実行することが難しいのである。実行することはまだやさしい。最後までやり通すことが難しいのでである』とありますが、まことにその通りではありませんか。

 思い起こせば、陛下はわずか二十歳の頃、みずから陣頭に立って全土を統一され、この国の基を築かれました。即位された当初は、まさに働き盛りでございましたが、よく自制して節倹に努められましたので、内外とも平和なよき時代をつくりあげられました。その功績は殷の湯王(とうおう)や周の武王をも上回り、ご聖徳についても聖天子、堯や舜に近いものがあります。

 私は側近に登用されて十年余り、常にお側にあってご意見を伺い、機密の相談にあずかってきました。その間、陛下は仁義の道をしっかりと守られ、何事につけ倹約を旨としてこられました。『一言、国を興す』といわれますが、陛下のおことばは今なおこの耳に残っておりまして、忘れることができません。しかしながら、近年、徐々に初心が忘れられ、政治に純朴が失われてきたように思われます。謹んで私の気づいたことをあげてみますと、次のようなことです」


 この魏徴の上申書は有名な内容で、とても長いので、数回に分けて掲載しますね。

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このページは、宝徳 健が2010年2月 8日 08:11に書いたブログ記事です。

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