貞観政要

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 唐の太宗が行った理想の政治とされる貞観の治を書いた「貞観政要」を紹介しています。

 初心を忘れた太宗に対する魏徴の諫言が続きます。諫言の最後のところです。
「『左伝(さでん)』に、『幸、不幸はきまった門があって入ってくるわけではない。みな人間が招き寄せるのである』とあります。たしかに、人間さえしっかりしていれば、災いなどめったに起るものではありません。

 思い起こせば、陛下が天下を治められてからすでに十三年たちました。その間、ご聖徳は国内にゆきわたり、ご威光は海外にまで及んでおります。穀物は豊かに稔り、教化の実もあがって村々に人材が輩出し、人々は食べるものに不自由しなくなりました。ところが今年になってしばしば災害に見舞われ、景気による旱魃の害が遠く地方にまで及び、天子のおひざもとである都でも、悪事を働く者がのさばるようになりました。天は何も言いませんが、こういう災いを下すことによって天子に警告を発するのです。陛下におかれましては、なにとぞこのことに深く思いを致し、いまこそ天子の務めを果たしていただきたい。

 つきましては、天の警告をすなおに受け入れ、すぐれた人物を登用して諫言によく耳を傾けること、周の文王のように何事にも細心に対処し、殷の湯王(とうおう)のようにまず天子としての責任を自覚していただきたい。さらにかつて立派な治績をあげた帝王のやり方をよく学んでみずから実行されると共に、近年へいかがなぜ徳を失ってしまったのか深く反省して改められ、そのことが誰の眼にもはっきりとわかるようにお示しになることです。さすれば、帝位は長く子孫に伝えられ、天下万民にとってもこれ以上幸せはなく、少しも心配することはありません。

 してみますと、天下の安危、国家の治乱は天子一人の肩にかかっているのです。すでに天下泰平の礎はしっかりと築かれましたが、今ここで少しでも木をゆるめれば、これまで積み上げてきた鉱石をすべて失ってしまいます。今が最も大事なとき、このときを逃してはなりません。名君であられる陛下にはそれがわかっているはずなのに、あえて手を束(つか)ねておられます。そのあたりが私には歯がゆくてなりません。私は愚かな人間で、物事の機微にはうといのですが、この眼で見ていることを十か条にまとめて、お耳に入れることにしました。何卒、私のつたない意見に耳を傾けられ、民間の意見も参考にされてご判断いただきたいと思います。愚者もたまにはいいことを言うと申しますが、申し上げたことが少しでもお役に立てれば幸いです。お怒りにふれて殺される羽目になっても、いささかの悔いもありません」

 さあ、魏徴の諫言が終わりました。太宗はどうでるのでしょうか。お楽しみに。

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このページは、宝徳 健が2010年2月24日 06:26に書いたブログ記事です。

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