誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 今日から、「第三次近衛内閣と日米交渉―九月六日御前会議以前―」です。

 暴露すると、私は、この宣誓供述書を読むまでは、東條英機のことをあまり好きではありませんでした。裁判の前に自殺しようとしますが一命をとりとめます。なんで、一発で死ねるこめかみに銃を当てなかったのだろうかとその覚悟を疑いました。

 東條英機の弁護人、清瀬一郎先生によれば、こめかみを撃てば頭部に多大な損傷が出てしまう、それを写真に撮られでもしたら、後世に恥ずかしいと東條は考えたそうです。だから、心臓にマーキングをしてそこを撃ちました。これを知り自分の不明を恥じました。

 この「東條英機宣誓供述書」は、東條が昭和十五年(1940年)七月第二次近衛内閣に陸相として入閣してから、昭和十九年(1944年)七月に内閣総辞職をするまでの四年間の日本の政治の推移と戦争の動向について、日本国を代表する責任者として、東京裁判に立つにあたり、腹蔵なく語ったものです。

 もうお分かりですよね? 東條英機が覚悟を決めて本当のことを述べようと、最善の努力をしていることは。虚飾や人を落としめんとする気持ちはこの供述書からは見られません。

 「日本はせつない国ですなぁ」。明治時代の秋山好古の言葉です。列強に取り囲まれ、その中で、必至に生きていかなくてはならない状況を正直に語った言葉です。それを今の私たちは忘れています。「世界で唯一自国を悪と定めた憲法 日本国憲法」によって。

 さあ、見ましょう。供述書の五十五から五十七です。今日は、五十五をそのまま抜粋します。日本は最後の最後まで日米開戦を回避しようと努力します。
 第二次近衛内閣の日米交渉は停頓し、ついに該内閣の倒壊となったのであります。第二次近衛内閣の辞職の表面上の理由はかつて御手洗承認の朗読した声明書の通りであり、また、辞職の経緯の一部は木戸侯日記にも記載してありますが、私の観察によればこの政変は日米交渉を急速にかつ良好に解決するために松岡外相の退場を求めたということにあります。同氏に辞職をせまるときは勢い混乱を生ずるが故に、総辞職という途を選んだのであります。そのことは七月十六日、目白の近衛公別邸にて首相ならびに連絡会議関係の閣僚、すなわち平沼、鈴木、及川の諸氏および私が集まって協議した趣旨によっても明らかであります。そこで総辞職の決行を決議しその日の夕方総辞職になったのであります。すなわち第二次近衛内閣は外務大臣を取りかえても日米交渉は成立せしめようと図ったのであります。この経過によっても、次にできた第三次近衛内閣の性格と使命が明らかになります。

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このページは、宝徳 健が2010年12月27日 04:15に書いたブログ記事です。

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