誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 今日から「太平洋戦争準備」に移ります。東條英機宣誓供述書のこの部分もとっても長くなっています。この項は、六十二~六十八です。今日は、六十三と六十四を紹介します。

 昨日も書きましたが、マッカーサーは、敗戦日本に対して米軍将兵のための「慰安婦」を要求しました。内務省警保局は各県警に施設と女性の確保を通達し、末尾に「米兵は無教養で粗野、残忍」と付記しました。

 結局占領期間中、毎年平均三百五十人の日本人が殺され、千人以上の婦女子が暴行されました。まさに鬼畜米英ですね。マスコミはこの事実を報道しません。なんとまあ。
 
 日本人は早く目を覚ましましょうね。

 では、抜粋します。
六十三
 多面においてわが国も軍備の充実を企図したことはこれまた事実であります。その目的は陸軍にあっては、主として対ソ連防衛作戦計画が基礎でありました。かつ支那事変勃発後はこれに加うるに支那事変遂行に要する軍備の整備ということが加わっただけであります。したがって陸軍において太平洋戦争を本来の目的とする軍備拡充はなかったのであります。海軍の軍備については自分は関与しておりません。

六十四
 日本の対米英戦に対する準備は応急的のものであって、およそ次の三段階を基準として臨時に行われました。
 すなわち
(a)1941年(昭和十六年)九月六日の御前会議―この決定に基づき和戦両様の意図により対米英戦を目的とせる応急的作戦準備を開始しました。
(b)後に言及する1941年(昭和十六年)十二月一日の決定に基づき開戦準備を行いました。
(c)1941年(昭和十六年)十二月一日の決定に基づき開戦準備行動に移りました。

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このページは、宝徳 健が2011年1月29日 17:02に書いたブログ記事です。

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