出光佐三語録

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 弊社の月刊誌、「士魂商才」の新しい読者の方々がとても増えてきました。そこでバックナンバーを読まれていない方のために、いろいろな記事の過去の物を掲載し始めています。まずは、「出光佐三語録」。少しずつ紹介します。「出光佐三語録 PHP研究所」です。今はもう絶版だと思います。士魂商才第三十五 平成二十二年八月号の記事です。第ニ章の続きです。。

 

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 シリーズで、「ペルシャ湾上の日章丸」を掲載していきます。掲載する都度お知らせします。今回は、士魂商才第三十三号 平成二十二年六月号に掲載した記事をアップしました。

章 苦闘

金は儲けなかったが、事業は理想的に伸びた。

 

 下関に於ける機械船漁業が出来始めました。新事業であるため、出光商会は此の消費者を直ちに独占したのであります。総ゆる研究努力を続け、其の使用燃料油の改善は、漁業を革命的に発達せしめました。第一次欧州戦争の進行と共に、燃料油の欠乏は漁業家をして休業の止むなきに立至らしめました。出光商会は率先これが燃料油の準備に万全を期し、自己の漁業家をして一日も休業せしむる事なく、燃料に対し完全に責務を果し、これまた非常の賞讃を博しました。また一般に暴利を貧りしに拘らず、出光商会は薄利に甘んじて信用を博しました。戦後不況となりしに拘らず、顧客は激増しました。金は儲けなかったが、事業は理想的に伸びた。商人としての責務を完全に果し、社会の一機関たるの自覚を得たのであります。(『我が六十年間』第一巻より)

                                                                   

 出光の着想が『先駆者的』といえたのは、その燃料油の『質』に注目したことであった。

「焼玉エンジンには、燃料としては上質の灯油かガソリンしか使えない。下等油では、エンジンが腐ってしまう」

 石油屋がいい出したのか、そんな具合に教えられて、誰もが盲信していた。

「そんな馬鹿なッ!」

 と、出光は反発した。冷静に実験をくり返してみねば、判らないではないか!

 それが、出光の着想であった。

 出光は、その着想を持って、翌日、下関の漁業会社『山神組』の事務所に乗り込んだ。門司港の桟橋から、国鉄の連絡船とは別の私営の『唐戸桟橋行き』連絡船に乗って、海上は同様三十分ほどであった。国鉄桟橋よりはやや北の、西日本最大といわれる魚市場のある唐戸桟橋に着く。

 山神組の事務所は、唐戸桟橋と下関駅の中間あたりの岬之町にあった。岬之町界隈が下関の商工業の中心地で、山神組に限らず、漁業会社の本社などが集まっていた。谷川のいる、日本石油の下関支店もここにある。

 山神組は、二階建てのしもた屋であった。案内を乞うと、猿又一枚の若い衆が出て来て、上がれといった。

 とんとんとんと二階に上がると、暑いので二間か三間ぶち抜いて通し部屋にした座敷に半裸の若い衆がごろごろしていた。

「白石のおっちゃん、お客さんぞね」

 案内してくれた若い衆が無造作に呼びかけると、その中の一人がむくむくと起き上がった。

「おう、出光君か。どうしたのかね」

 白石と呼ばれた男は、大きく伸びをして、あくびをした。まだ三十歳そこそこの若さのようであった。

「いや、これはお休みのところを......。暑いのでさっさと申し上げますが、実は、あなたの会社に、軽油を買ってもらいたいと思いましてね」

「軽油―?何にするのぞね?」

白石は、眉を寄せた。

「うちはお宅からは、機械油はすべて買ってるよ。そのほか、少量だが灯油だって......。軽油なんて......うちは拭かんならん機械なんて、いくらもないよ」

「いや、清掃用の軽油じゃないんです。エンジンの燃料としての軽油です

「燃料―?君、本気かね。焼玉エンジンには、ガソリンか灯油しか使えん。下等油ではエンジンが傷むと―君はむろん知ってるだろ?

「誰が決めたんですか、そんなこと?」

「誰がって?君、常識じゃないか」

「だから、誰がそんなことを、常識だと決めたかというんですよ。そんならあんたは、試してみましたか?」

「試して......?面白いなァ」

 白石は、好奇心丸出しの笑顔になって坐り直した。

「いや、むろん試してなんかいない。人のいうままに、信じ込んでたというところだ」

「じゃァ、駄目じゃないですか。いいですか、焼玉エンジンの燃料代だって、鮮魚の原価計算の上では、馬鹿にならんですよ。いいですか、あなた方漁業家というのは、だいたいおおまか過ぎますよ。やれきょうは十万円儲けた、きのうは二十万円損したなんて......大金の損得を馬鹿みたいに話し合ってる。運賃における燃料代なんて、てんから問題にしていないが、それはとんでもない間違いですよ」

 とんとんと足音がして、下から誰か上がって来た。見ると、同じ山神組の若い国司浩助であった。

「何を、がたがたもめてるんですか?」

 笑って二人に話しかけた。

「いや、出光君にね、鮮魚の運搬費におけるい燃料費の原価計計算ちゅう、むつかしい問題でね、いじめられてるんだよ」

「で、どうしろというんですか?」

 相変わらずにやにや笑いながら、二人の顔をかわるがわる眺めて、国司はいった。

「いや、軽油を焚け、というんだよ。何もガソリンの、灯油のと、上質油にこだわる必要はない―」

「それなら、僕も思っていましたよ」

と、国司は真面目な顔になって、二人の間に坐り込んだ。

「下級油で、エンジンが駄目になるなんてのは、俗説に決まってますよ。だけど、下級油で所定の馬力が得られるかどうか」

「テストしてみましょうよ」

 と、出光が口を出した。

「テストもしないで、議論したって始まりませんよ。軽油でエンジンが傷むか傷まないか。灯油やガソリンと同じスピードが保てるか保てないか―」

「やってみるか」

 と、白石が、結論的にいった。二人とも、若いが山神組の重役である。そして二人とも、水産講習所の出身で、白石が先輩、国司はかなり後輩であった。現在の、東京水産大学である。

 

 軽油の需要が急増

 

 実験は、すぐに始められた。

 一隻の運搬船で、船長と機関長の諒解のもとに、上質の『軽油』を焚いた。

 成績は灯油の場合と、少しも変わらなかった。

 中質の軽油を焚いても、同じだった。下級の軽油を焚き、未洗軽油を焚いてみても、臭いのがいやなだけで、同じであった。

「こいつは只同然の値段だから、ついでに......」

 といって、日石の倉庫の隅に眠っていた『ケイシセン』と呼ばれる油を引っぱり出してきて焚いた。すると、機関長が血相を変えて、白石のところへ飛んで来た。

「白石さん、あんなテストやめてくれるんでなかったら、俺は船を下りるぞ!」

「下りるって?なぜだ?」

「臭いの臭くないのって、あの『ケイシセン』たらいう奴は、鼻も口も、もげてしまうよ!船員がみんな、下船するといい出した。仕方ないから、俺も降りるんだ!」

「なに、臭い?臭いぐらいが何だ!」

白石は怒鳴った。

「お前たちは四六時中、機関室にいるわけやないやないか。エンジンがかかったら、甲板に出て、ぐうたらぐうたら昼寝しとるやないか。それが、臭いやなんて、きいた風な口きくな!降りたければ、さっさと降りろ。誰も無理に乗っとってくれとは頼まん!」

 それでしゅんとなって、機関長は引っ込んだ。

 佐三は日石の支店へ行って、軽油を大量に出してもらうことにした。

 軽油の需要は急増した。

 艀に積んで、運搬船なり漁船なりに届けるのである。はじめは佐三自ら艀に乗ったが、間もなくそれはやめて、陸にいて全体を指揮した。艀に乗るのは、井上と泰亮の仕事になった。

「軽油でいいってよ」

「安く上がるぞ!」

 噂は伝わって、山神組以外の船も出光へ買いに来た。そんなにして間もなく出光は、関門海峡の機械船全部の需要を、独占してしまうかの勢いを示した。

 或る日、出光は、日石支店に呼ばれた。行ってみると、出荷主任が待ち受けていた。

「出光君、少しは慎んでもらわんと、困るじゃないか!」

「何のことですか?」

「君が下関の船にまで、やたら軽油を入れるというて、下関の特約店から文句が続いているんだ。もともと君には、燃料油の権利はないんだし、少しは慎んでもらわんと......

「何をいうんですか!」

 と、出光は開き直った。

「僕がいつ、下関の市場を荒らしましたか?下関で売りましたか?僕は、海上で売ることを厳守しています。海に、ここからは門司、ここからは下関なんて、標識でも立ってるんですか」

 出荷主任は黙った。この理屈に対して黙ったのではなくて、上から―谷川か誰かから、注意があったのかも知れなかった。

 それまでは倉庫の『場ふさぎ』だった軽油を、日の当たる場所に引き出したのは、出光の功績である。その功績に対して、多少のエリアのはみ出しくらいは多めに見てやれと......上の方から声がかかったのかも知れなかった。

 出光は、下関に出張所を設けた。門司の倉庫は拡張し、市内電車の終点に近い甲宗八幡の下の船だまりにも、倉庫を新設した。

 事務所も移転した。同じ電車通りだが、これまでは道路の山側の東本町一丁目で、部屋借りだったのを、筋向いの、同二丁目の海側の独立家屋に移った。幾分は手広くなったわけであった。

 仕事が安定してくるにつれて、両親を引き取って近所に住まわせた。妹のタマと弟の泰亮は初めから同居していたが、その他の兄の雄平、姉のキクをはじめ、弟の佳月、弘、計助らも、或いは引き取られ、或いは店に出入りして―兄妹みんなが佐三の事業に何がしか参画するようになった。

 倉庫には、太っちょの和田勘市とチビの生野猪六とが、常備いの仲仕主任として詰めていた。下関の日石倉庫から船で運んで来た樽を、ここでブリキ缶に詰め替えるのである。その缶には、三角形の中に『SI』と、出光のマークが打たれていた。

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コメント(3)

株式会社経営戦略室 代表取締役 宝徳 健 様
私は『出光佐三語録』に登場する国司浩助の四男です。
今年日本水産創業一〇〇年にあたり「理想・熟慮・断行ー国司浩助伝」という著書を上梓いたしました。
出光翁と父とは、ご縁があることは薄々知っていましたが
文献に登場するような『接点』があったことは存じませんでした。びっくりしながら感動して読みました。
早速『出光佐三語録』を取り寄せることにいたしました。
出版もPHP研究所で小生も一四点出版していますので
何かとご縁を感じます。
取り急ぎ、ご案内まで
国司義彦拝

国司義彦様
 先ほど、コメントを返信させていただいたのですが、失礼な表現がありましたので、削除して書き直しています。
 コメント感謝申し上げます。このブログでこんなにすごいご縁がいただけるとは思いませんでした。私は平成13年3月まで出光興産に勤務していました。出光興産という会社は去りましたが、今でも、出光の社員に負けない、日本一の出光理念の信奉者と自負しています。
 今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。

国司義彦様

 国司様のご著書を注文させていただきました。楽しみでなりません。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2011年2月26日 23:52に書いたブログ記事です。

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