五・一五事件

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 今日は、五・一五事件の日ですね。
 昭和七年(1932年)5月5日に起きた事件です。大日本帝国海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、首相の犬養毅を暗殺しました。

 1929年にニューヨークの株の大暴落に端を発した世界大恐慌が起きました。これが第二次世界大戦の真の原因です。まったく、これまでの世界大戦の原因はすべてアメリカが作っています。困ったものです。

 1931年が満州事変。これも教科書で習ったものとは事実は違います。リットン調査団の報告書を読むと、学校の教科書で習ったこととはまったく違う事実が書かれています。日本軍の責任とは書いていません。

 1930年にロンドン海軍軍縮条約が締結されました。そのときの首相は、若槻礼次郎です。海軍将校はこの軍縮に不満を持っていました。若槻の暗殺を狙っていたのですが、若槻が選挙で敗れて、犬養が首相になります。ある意味、犬養首相はとばっちりを受けたような格好になりました。

 犬養首相は首相官邸に乱入してきた海軍の三上隊を応接室に案内するという豪胆さを見せています。次に乱入してきた黒岩隊は、話せばわかるという犬養首相の言葉を無視して、腹部を銃撃しました。三上隊もすぐに頭部を銃撃しました。でも、まだ犬養首相は亡くなっていませんでした。虫の息で「今の若者たちをもう一度呼んで来い。よく話して聞かせる」と言いました。

 菅なら、どうするのでしょうか?

 世界経済の荒波に巻き込まれ、どん底の不況を味わった日本が、その後、世界の列強にいじめられて、ABCD包囲陣を敷かれて、そして、戦争の道を歩んでいきます。

 そして、陸海軍大臣現役武官制度が1936年に復活し、内閣が機能しなくなります。

 近衛文麿という、優柔不断な公爵が首相になり、側近がソ連のスパイだらけなのにも気づかず、どんどん日本の政治力が衰退します。

 秋山好古が、日露戦争当時、ある人物につぶやきます。「日本というのは、せつない国ですなあ」と。列強の中で、唯一の独立有色人種です。でも、資源も何もありません。それでも、国家を維持しなくてはなりません。それを一国でやろうとして、大東亜戦争は負けました。その後がいけません。不埒な日教組による戦後の誤った教育と、朝日新聞や毎日新聞をはじめとする赤いマスコミ、欠陥憲法によって、国民がまったくだめになってしまいました。

 この国は、世界の中でどうやって勝ち抜いていくかという国家戦略発想が絶対に必要です。

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このページは、宝徳 健が2011年5月15日 11:36に書いたブログ記事です。

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