仲間という字の意味

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 いろいろな会社の合宿や研修会などで、よく話すことです。仲間とは一体どういう意味なのでしょうか。

 仲間の「仲」は、「人」と「中」でできています。「人」は、文字通り「支えあう」という意味です。「中」にはふたつの意味があります。「化合する」と「中(あた)る」です。

 人間が二人以上集まると「組織」になります。人数が増えれば増えるほど、いろいろな考え方や意見が出てきます。お互いに支えあいながら、そのいろいろな意見を「化合」し、その時の、その組織に最も合致する考え方に「中(あて)ていく」ことが「仲」の意味です。

 「間」は、「出会い」という意味があります。お互い支えあいながら、いろいろな意見を化合し、その時点で最もよい考え方に化合していく。つまり、自分の我を通さずに、組織が一番活性化する考え方に自分を合わせていくと、「えっ、この人、こんなにすごいところがあったんだ」「えっ、自分はこういうことができるんだ」と新たな出会いが出てきます。

 まとめます。仲間とは「お互いに支えあいながら、いろいろな考え方や意見を化合し、その時のベストの考え方をみんなで作り出し、そして、お互いの新たな出会いを作っていく」ということです。これがないのは仲間ではありません。

 まさに武士道の考え方ですね。「鍛え上げた己の力を、自分のためではなく、お互いのために使いあうと、その組織は最高のものになる」。一致団結の姿です。滅私奉公ではなく、「背私向公(はいしこうこう)」です。

 不埒な日教組による戦後の誤った教育を受けてきた我々は、こういう考え方を否定します。「そんなことをしたら、自分がなくなるじゃないか」と。そして、よい支えあいや出会いがなく、意見を化合するという能力も実につかず、結局自分が損をしてしまいます。「分け合って余らせる」という日本の微風を否定し「奪い合って足りなく」させています。

 「私」が優先しています。私の辺は、作物を意味します。「ム」は、ひじを曲げていること。つまり、作物をひじを曲げて全て自分の方へ取り込もうとしている姿です。それが、戦後の誤った学校教育の考え方です。

 組織は、優秀な人がいると強くなるのではありません。たとえ優秀な人がいなくても、みんなが「中る」瞬間を作ろうとしている組織が強い。そして、その中る行為が芽生えるためには、経営者のしっかりとしたビジョンが必要になります。

 民主党、全然、中ってないですよね? だって、党のビジョンである、綱領もないんですもの。今考えても不思議です。なんで、あんな党に投票した国民があんなにたくさんいたのだろうか? こうなることなど、選挙前からわかっていたことなのに。

 政府を転覆しようとしていた、菅や仙石などの全学連が政権を握ってしまいました。国家がおかしくなるまで、政権を話さないのでしょうね。国民の責任です。民主党に投票した人は猛省してください。メディアに騙されないようにしてください。今回も、多くのメディアが「政権を変えている時期ではない」とのたまっていました。「菅」という人生を放置したままでいいというのがメディアの論調です。またまた多くの国民が騙されていました。

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このページは、宝徳 健が2011年6月 4日 08:47に書いたブログ記事です。

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