親父の親父の物語

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 さて、私の親父(佳男)の進学話でした。或中受験に失敗した親父は、どうなるのでしょうか?
 ボクは運がいいというのか、その年開校する興南公立工業学校(興工:かんこう)の受験があったので"小学浪人"はしていません。受験まで10日ばかりあったので、近所にあった或南公立中学校(南中:なんちゅう)の校庭に有刺鉄線をくぐって入り込み、必死・そこで必死で逆上がりと懸垂の練習をした。結果―逆上がりOK、懸垂2回の成果があがりました。

 この受験の口頭試問のとき先生から、「君は或中に落ちたのだな」と言われました。

 お父さんは、興工の合格発表の前に「結果」を知っていたフシがあります。入学式の1週間程前に有久善夫先生から、『入学式で宣誓をさせるから、父兄同伴で1時間前に登校するように』との通知がきました。登校して分かったのは、口頭試問のときの先生が有久先生でした。

 校庭の隅で、お父さんから何べんも練習をやらされ、「声が小さい」と注意され、やっとゆるされました。入学式で宣誓をするというのは、一番だったということさえ小学校6年生の頭には分かりませんでした。このときの受験生―1,200人。合格―126名(補欠6名)。10倍の競争だったのです。

(つづく)

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このページは、宝徳 健が2011年7月17日 07:30に書いたブログ記事です。

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