親父の親父の物語

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 私の親父(佳男)の子供のころの話が続きます。

 佳男が無期停学になります。今の親だったら、「なぜそうなったか」を考えず、「無期停学」になったというだけで、お騒ぎし、子供を責めるのでしょうね。このとき、相手は何倍もの人数だったそうです。
 有久先生は西洋史・東洋史の先生でした。この先生の講義が好きで、ボクはいまでも歴史が好きです。戦後ずっと、日教組が左翼偏向教育を子供たちに強制していたとき、山口県で先生をしていた有久先生は日教組を脱退して、日本教職員団体を立ち上げて、軌道修正に乗り出した、情熱の人です。大阪に来られる度に先生とお酒を飲みました。

 興工5年生のとき、朝鮮人と喧嘩して無期停学になりました。「明日父兄同伴で登校せよ」と言われて、学校から帰ることを許されたのは夜の10時。えらいことになった、相当やられるなと覚悟して深夜帰宅。お父さんに事情を話すと、「よくやった」の一言でした。

 翌日登校。お父さんと校長室に入りました。「まことに不本意ながら、無期停学とします」と宣告されました。校長室に入ると「佳男の態度は堂々としていた」を誉めてくれました。この件では一切叱られたことはありませんでした。

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このページは、宝徳 健が2011年7月18日 05:00に書いたブログ記事です。

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