親父の親父の物語

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 さて、信叔父さんが二歳で亡くなったところまででした。

 いまの火葬はバーナーですが、あの頃は手で火をつけていました。親は死んだ子供の火をつけてはいけないので、長男の僕が火をつけました。帰るとき正是が「人さんが死んだら僕が火をつけるんだな」と言ったので、みんなが「・・・・・」となりました。

 火葬場は元山府廰の坂を登った奥にありました。この坂を降りると「松濤園(しょうとうえん)」という海水浴場です。あれほどの海水浴場はまだ見たことはありません。

 北朝鮮に拉致された市川さんが、9月何日かに松濤園で泳いでいるとき溺れ死んだと発表されたとき、思わず「ウソだ」と声が出ました。この海岸は遠浅でおぼれるようなところではない。まして9月は寒くて泳げるものか、北朝鮮はよくもまあ白々しいウソを、平然として言うなあと半ば感心しました。

つづく

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このページは、宝徳 健が2011年7月30日 14:01に書いたブログ記事です。

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