和歌

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 このシリーズは右のカテゴリー「和歌」「SOEおすすめの本」に格納されています。

 今月号の士魂商才にも書きました。「電池が切れるまで」という本があります。二冊あります。
 この本を読むと、私たち健常者がいかに甘えた存在であるかを思い知らされます。

 長野県に「長野県立子供病院」というのがあるそうです。

 重度の病気を持った子供たちが入る、先端医療小児病棟です。

 そこにいる子供たちのことを書いた本です。

 真美ちゃんという子が、亡くなっていくときに、「幸せ、幸せ・・・」と言いながら・・・。
 
 お父さんは、それを聞いて、「真美、お前は本当に幸せだったのか」と自問自答します。

 子供を虐待する。 いじめにあったから、自殺する。

 健常者の甘えですよね。自分の子供が、身障者で、使える体を精一杯使って生きていれば、自分の子供を虐待したり、殺したりできるはずがありません。

 身体障害者の方々で、いじめにあったから自殺する人がいるでしょうか? 自分の命を一日一日、必死に使いながら生きている人が、いじめぐらいで自殺するはずがありません。

 私たち健常者は、「心」障者です。

 ちょっと、いやなことがあったら、ぶつぶつ文句を言います。

 目が見えます。耳が聞こえます。口が利けます。手足が前に動きます。

 愛する人の顔を見ることができます。愛する人の声を聞くことができます。愛する人に、「愛してる」と言うことができます。手足が前えに動きます。
 
 人間の体は、全部、前に進むようにできています。なのに、健常者は、いやなことがあると、すぐに、「心だけ曲がります」。

 フィジカルに、ハンディキャップを抱えている方々は、夜寝るときに、おそらく考えられるのでしょう「もしかしたら、明日は、手足がうごくのかも」「もしかしたら、明日の朝、目が見えているかも」

 でも、朝起きたら、いつもの現実があります。 あっても、心は曲がらない。

 健常者は逃げることができる。それがずるい。その、ずるさが、まさに今の私です。

 「電池が切れるまで 角川書店」  ぜひ、お読みください。お子様がいらっしゃる方は、一緒に。

 では、拙首です。

 今日もある 命を明日 見つめるか それを見つめて 今を生きるか

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このページは、宝徳 健が2011年9月 2日 20:32に書いたブログ記事です。

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