真美ちゃんの詩①(9月2日の日誌)

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 昨日紹介しました『「電池が切れるまで」の仲間たち 子ども病院物語 宮本雅史著 角川文庫』に、真美ちゃんのことが紹介されています。
 真美ちゃんは、とっても活発な子どもで、妹たちの面倒もよくみるよいお姉さんでもありました。ところが、中学二年生に進級したばかりの春、突然、激しい頭痛にみまわれます。病院にいったのですが、原因が判明しません。医者は「わからない」を繰り返すだけです。その医者は無責任な医者で、「原因を調べるためには手術が必要だ」と言って手術をしますが、原因がはっきりしません。その手術のとき「お盆になると手術室の掃除をしなくてはならないので、急いで手術をしたい」と言ったそうです。

 原因がわからないので、もう一度MRIをとると、今後は、一転して「あと三ヶ月の命です」と宣告したそうです。真美ちゃんのご両親がその後の治療方針を尋ねると「私は明日から夏休みなので、担当の医師が代わります」と言ったそうです。

 医者とか弁護士とかを、「医師」「弁護士」なんていう名前だけで信用しては絶対にだめです。変なのはたくさんいますから。私の母の死のときもそうでした。亡くなってから一回も顔を出さない(病院にも)くせに、「解剖してもいいか」という電話連絡がありました。 その場にその医師がいたら、私は何をしたかわかりません。

 そのとき知ったのが、長野県にある、長野県立子ども病院です。平成五年五月二十八日に開院しました。短期療養型の先端医療小児病院です。敷地面積は5万158平方メートル、小児科、小児外科、形成外科、心臓血管外科、産科、リハビリテーション科など十五の診療科があり、医師は54人。看護婦は201人(今は、看護師というそうですが、私は、意味がわかりませんので、看護婦と書きます)。ベッドは200床です。入院患者は、白血病や心臓病などの難病に苦しむ子どもたちです。

 真美ちゃんは、平成九年八月十四日、ここに転院しました。

真美ちゃんの詩を紹介します。

ずっとY県に住んでいたのに
今はココにいる
住みなれた町から離れて
まったく知らない町にうつってきて半年
始めは不安ばかりでおびえていた
長野県の人の最初の印象は
目つきが怖かった
でも今思うとそう思ったことが
不思議でたまらない
過去をあまり
振り返らないことにしている
過去を振り返ったって
何も始まらないから・・・
一言で私はココにきて
よかたっていえる
つらい事と楽しいことがあるけど
つらい事の方がいっぱいあるけど
でもまわりのみんなが
はげましてくれるので元気がでてくる
本当に来てよかった

 入院して半年後に書いたものです。明日も、真美ちゃんの強さを紹介します。

昨日の日誌、目標管理していませんでした(汗)。ごめんなさい。

【昨日の食事】
朝ごはん:パンとサラダ
昼ごはん:豆腐料理
夜ごはん:和食

【ルーティン】
①私は毎朝、朝のおつとめをします(皇居遥拝、宗像大社遥拝、神棚拝礼):×1/2
②私は毎朝、3つの唱和をします(般若心経、教育勅語、大祓詞):×1/2
③私は毎朝、新しい暗唱を少しずつします(今は、大学と終戦の詔書を完璧に覚える):×1/2
④私は毎朝、定期クライアント先にメールします(用がないときは「何もありませんが」と):○2/2
⑤私は毎日、手紙を1通以上書きます:×0/2
⑥私は毎日、本を5分以上読みます:○2/2
⑦私は毎日、ブログを2個以上書きます:2/2
⑧私は毎日、仕事の書き出しをチェックします:2/2
⑨私は毎日、予定の確認と手帳の消しこみをします:2/2
⑩私は毎晩、三省します:2/2
(15/24 62.5%)
【毎月やること】
 手紙 150通以上 0
 読書 10冊以上 3冊
 新規提案 10個以上 0

【毎週やること】
 週計画・週検証

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このページは、宝徳 健が2011年9月 3日 06:05に書いたブログ記事です。

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