和歌

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 去年より読書のペースは落ちています。手紙も読書もブログも、やり始めのころは少し無理して多くやるのですが、こうすると自分に合ったペースが分かってきます。
 でも、手紙は月間300通、本は年間200冊と言われています。これを続けると人間が成長するそうです。私が、そのレベルにいっていないのは、まだまだの人間だということでしょう。人生が終わるまでに、こういうことができるようになりたいな。

 読書も、読んでいて、「へー」と思うことがたくさんあるのですが、その内容をすぐに忘れてしまいます。「あの本のあそこに書いてあったことなんだっけな~」とか、前に読んだ本を読み返すと、「あー、こんなこと書いてあった~」となります。まったくまだまだの人間です。
 私は、「知ったことを忘れないように」「少しでも記憶に残るように」「そのときどう考えていたかを後で自分が確認できるように」と思ってこのブログをはじめました。今では、読者の方が増えて大変うれしく思います。
 でも、こういう考え方で書いているので、「こいつ偉そうだなあ」と思っても我慢してくださいね(笑)。

 言い訳から始まった一日ですが、前にも書いたように安岡正篤先生の「呂氏春秋」を読んでいます。安岡先生の本は、何度も読まないと頭に入ってきません。繰り返し呼んでいます。

 そこに「指」という言葉が紹介されていました。「指」とは「手偏」に「旨」です。「旨」とは、「デリケート」という意味だそうです。このことを知っただけで、すごいと思いませんか? なんか、指がとってもえらい存在に思えてきました。パソコンをタイピングしている今も、指の偉大さを思いながらしています。

 安岡先生の、指とう時の意味を説明された後の言葉を紹介しておきます。

「ところが前の晩に異性に触れたり、大酒を飲んだり、牛だの豚だのの肉を食いすぎたり、というようなことがあると、指頭の感覚が利かぬ。やはり静かな清い夕べを持ち、朝早くおきて、すがすがしい気分で家を出ないと、指先の感覚が利かぬという」

 うへ~。ブログ書いたら寝ます。

書に触れて 新しきこと 知るたびに 知らない自分の ことを見つける

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このページは、宝徳 健が2011年10月24日 00:19に書いたブログ記事です。

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