誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 120に入っています。アメリカへの宣戦通知において、日本の外務省の愚かな行為とは。
 そもそも、真珠湾攻撃は、奇襲という正しい戦法です。通じ時間が早すぎたら意味はありませんが、交渉断絶書が少しでも早く手渡されていたらアメリカは「卑怯な奇襲」と非難できませんでした。もっとも、アメリカの日本に対する卑劣なハル・ノートが事実上の最後通告だとする外交の専門家もいます。日本の外務省の愚かな行為をアメリカは徹底的に「不意打ちだ」とプロパガンダしました。

 日本から、駐米日本大使館に「これから重要なメッセージがいくぞ」と事前告知しました。でも、大使館員は、全員これを無視して、前夜、同僚の送別会に出かけてしまったのです。電報を受け取る当直を置くことすらしませんでした。いまにも戦争が始まるという時に、なんということでしょうか。翌朝、のんびり出勤してきて、至急電を見て、タイプを打っていたら攻撃が始まっていたということです。まあ、これは、外務省のいいわけです。タイプなど打たなくても、先方に内容が伝わればいいのです。手書きで渡せばよかったのです。

 東郷外相が「七日午後一時(ワシントン時間)を期し、直接手渡せ」と指令したのに、野村大使がハルに渡したのが、午後2時20分でした。午後1時であれば、真珠湾攻撃の開始まで、30分もありました。タイプを打っていたので、ハルにアポイントメントを1時間延ばしたもらったと外務省は言いました。

 全員切腹すれば、自分たちのミスを世界に示せて日本の責任にはならなかったのですがね。

 外務省は全部隠したばかりか、当時の責任者はその後みんな出世しました。まだまだこの話は続きます。

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このページは、宝徳 健が2011年10月29日 00:42に書いたブログ記事です。

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