支那紀行 その14

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 1983年2月に、親友のYTJと、まだ個人旅行が、原則認められていなかった支那を旅しました。支那の一番寒い時期です。

 入国する前とあまりにも違うイメージに愕然とした私たちです。世界中を一人旅しているYTJが言いました。「宝徳、俺、ほとんど、世界中いったけどなあ、これほどひどい国ははじめてや」と。

 さて、広州(広東)から、長沙(チャンシャー)に向かいます。電車旅をしようと思っていたのですが、電車がない(に等しい)のです。飛行機に乗りました。
 この飛行機がひどい。みなさん、信じられないかもしれませんが、飛行機の窓から隙間風が入ってくるのです。ヒューヒューと音を立てて。寒い寒い。あまり高いところを飛んでいないのでしょうね。高いところを飛んでいたら、気圧差で大変なことになってしまいます。

 入国する前に、旅行ガイドブックを読むと「中国民航は、世界でも最も事故の少ない航空会社です」と書いてありました。まったく、当時の支那礼賛もここまでくれば立派なものです。

 最後に行く上海で、日本人ビジネスマンと出会いました。上海といえどもまだそんなに日本人がいない時です。懐かしかったのでしょう。話しかけていただいて、住んでいらっしゃるホテルに招待してくださいました。ご馳走になりました。その方がおっしゃいました。「そんなもの、事故が起きても報道していないだけだよ。実際には、しょっちゅう墜落しているよ」。

 背筋が凍りました。実際に乗っているから、墜落する可能性が高いことがわかるからです。知っていたら、どんなに苦労しても、電車で回ったでしょう。

 支那政府にとってはこんなことどうでもいいのですね。国民が死のうが生きようが。この前の、高速鉄道の事故をみればわかりますよね。

 戦争をしても、支那には、他国にない「督戦隊」というのがいます。戦線の一番後ろで銃を持って構えています。敵国に対する防衛ではなく、自分の国の兵隊が逃げてきたら、撃ち殺すためです。ひえ~。国民の命を命とも思わない。だから、天安門事件などというものが起きます。もっとも、支那の若者は天安門事件を知らないらしいですが。

 実際に、コートとセーターの下に、シャツを何枚も着ないと耐えられないぐらい、寒いのです。

 何時間かかったかなあ。覚えていません。

 さて、長沙に着きました。つづく。

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このページは、宝徳 健が2011年11月20日 01:30に書いたブログ記事です。

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