支那紀行 その21

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 当時の支那を旅行すると、だいたい、ホテル代が4~5元(400円~500円:当時のレート)、ホテルで食事をしないで、外で食べると、同じぐらいの値段です。バスに乗ったり、しても、一日遊んで、1,000円~1,500円あれば十分でした。
 でも、タクシーは日本国内よりも高かった。一度だけ、少しの距離を乗ったのですが、「えーっ」と思うぐらい高かった。タクシーに乗ったのはそのときだけです。後は、すべてバスの移動でした。

 さて、西安は楽しかった。あいかわらず、暗い、くさいはあるのですが、くそまずいはひとまず解消。それと、なんと言っても、歴史の遺跡がすごい。秦の始皇帝の墓である兵馬俑(へばよう)、玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンスの地 華清池(ホワチンチー)、玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰った経典が収められている大雁塔、西安動物園(ここはひどかった)などなど、1週間ぐらいいたのかなあ。食べ物も、屋台で食べるとおいしい。前回の餃子は別として食堂はだめです。食材が手に入らないので、まずいものしかできません。

 また、不潔度はすごいですね。ブタ饅みたいな、饅頭(マントー)が、リアカーいっぱいに積まれていますし、ビールは、大きな容器に、入れてあって、買うと、お茶碗みたいなのを貸してくれて、その容器からすくって飲みます。みんなが手を突っ込んで飲んでいるわけです。電気がないので、冷蔵庫がありません。だから、冷たいビールは外で買ってきて、ホテルで飲むしかありません。食堂で、青島ビールを飲んでも、生ぬるい。

 それとトイレがすごい。どこに行っても。一度YTJが、外で「宝徳、ちょっとトイレ行ってくるわ。でかいやつしてくる」と言って、トイレに行きました。30秒で戻ってきて「すまん、宝徳、これ持っといてくれ」と言って、ナップサック、眼鏡、時計、ジャンパーを私に渡します。後で聞いたら、きたなくて、しかたがないそうです。それと、仕切りがなくて、穴しかあいていません。広いところに、穴がいくつも開いていて、そこで、用を足すわけです。女性トイレなんてもっとひどいらしい。一本の溝が掘ってあって、そこに並ぶようにしゃがんでするらしい。

 だから、出かける前は、極力水分を押さえ、ホテルで用を足してから出かけるようにしました。

 さて、先ほど申し上げた、兵馬俑(へばよう)に行くことにしました。タクシーで行けば30分ぐらいだそうですが、私たちは、バスで行きました。1時間半ぐらいかかったと記憶しています。

 そのバスに乗っている間に、すごいものを見ました。つづく。
 
ホテルの人民大厦(れんみんたーしゃー)
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西安の城壁の門
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支那人の生活レベルを知ることができます。今でも、少し地方に行けば
こんなものだと思います。
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このページは、宝徳 健が2011年11月30日 08:10に書いたブログ記事です。

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