支那紀行 その22

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 1983年2月に親友のYTJと行った、支那への個人旅行を振り返っています。「よく、28年前のことを覚えているね」と何人かの方々から言われますが、覚えていないところは覚えていないのですが、鮮明に右脳に残っていることも多々あります。

 悪いところをベールに包んだ、社会を見せられる団体旅行とは違い、個人旅行ですから、支那の生活習慣や社会風俗がよくわかると思います。

 西安市内から、秦の始皇帝の墓である兵馬俑(へばよう)へバスで向かいました。
 いつものごとくです。バスを待っているときは、YTJと私の二人しかいないのですが、いざバスが来ると、どこに隠れていたの? と思うぐらい、人が沸いてきます。すごくたくさんの人が。とにかく、支那は、どこに行っても、人だけはたくさんいます。それと、自転車が道にあふれています。当時はまだ車も少なかったのですが、その少ない車さえ走ることができないぐらい、道を占領しながら、まさに「大量」の自転車がのったりと走っています。

 日本に帰ってしばらくは、自転車に乗るのも見るものいやでした。

 バスでご老人が乗ってきたので、また反射的に席を譲りました。またまた、周りの人たちがびっくりしてこちらを見ます。「こいつは、自分の権利を放棄して、馬鹿か」というような顔で。

 バスの窓から外を眺めていました。一軒の家を作っていました。その作り方たるや・・・。

 レンガを下に敷地分一段敷きます。その上に、おそらくセメントを塗って、もう一段積んで、二段にします。三段・四段・・・。基礎もありません。柱もありません。そうやって家を作っていきます。どの地域に行っても同じでした。昨日紹介した写真のような家ができます。地震が来たら、一発でつぶれますね。帰りのバスから同じ家を見たとき、ほとんどできていました。

 二人は無言で、その家を見ていました。

 さあ、秦の始皇帝の墓である兵馬俑(へばよう)に着きました。

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このページは、宝徳 健が2011年12月 1日 05:41に書いたブログ記事です。

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