支那紀行 その33

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 1983年(昭和五十八年)2月に、親友のYTJと行った支那への旅を綴っています。

 北京の二日目は万里の長城に行こうということになりました。万里の長城でも写真を撮ったはずなのに、残っていません。残念(>~<)。
 タクシーで行けばいいのですが、学生の貧乏旅行です。汽車で行こうということになりました。万里の長城に行くには、北京駅から確か、八達嶺(パタレイ)というところまで行けばよかったと記憶しています。

 朝の弱いYTJに、「おい、YTJ、明日の朝、絶対に時間通りに起きろよ!」と強く言いました(前の晩に)。YTJも「わかっとるわい!!!」と強く返してきました。

 朝になりました、「おい、YTJ、起きんかい!」「わかっとるわい。宝徳、何でお前はいっつも、そんなに早めに出んねん。まだ大丈夫や間に合うわい!」「間に合わへんって。起きんかい」「うるさい」

 二人旅も二十日近くなると、ぎくしゃくしてきます。特に娯楽とおいしい食べ物がないので、フラストレーションがたまりっぱなしです(エッチな遊びもできないので)。

 そんなこんなで、ぎりぎりに、北京駅に行くバスに乗るためにバス停に行きました。案の定、人があふれすぎていて、めがけたバスに乗ることができません。二本遅らせてバスに乗って北京駅に行きましたが、一日に一本しかない八達嶺行きの電車は出たばっかりです。

 二人の間にまたまた気まずい空気が流れました。

「宝徳、すまん。タクシーで行こう」「そんな金ないわい」

 YTJはブルジュワです。私は、その時期すでに就職していた妹からお金を借りてこの旅行に来ています(情けない)。

「俺が出すわ・・・」

 ということで、タクシーで万里の長城に行きました。 つづく。

 万里の長城の写真はないのですが、紫禁城の写真はたくさんあるので、毎日掲載しますね。

紫禁城にて。今とぜんぜん違うけど本人です。ORKさん、疑惑?息子の写真じゃないよ。
shikintakeshi.jpg



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このページは、宝徳 健が2011年12月21日 10:38に書いたブログ記事です。

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