和歌

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 1月号の「ひととき(株式会社ウエッジ)」に中西進先生の、とっても素敵な記事が掲載されています。
志乎路(しおじ)から 直(ただ)越え来れば 羽咋(はくい)の海 朝凪ぎしたり 船梶もがも

 大友家持の歌です。家持は越中の国に国司として赴任しました。そこでまず経験したものは、南風から北風にかわった後の冬の猛烈な大陸風ででした。日本海は凶暴な海へと一変しています。

 ところが浅春の一月のある日、志雄をめざしてとうげを越えて羽咋に出た朝のつかの間、家持は凪に出合います。

 そのときのほっとした気持ちが詠まれています。

 また、家持は藤原氏との権力争いをはじめ、いろいろな政争に巻き込まれます。もっとほっとしたいなという家持の気持ちもこの歌にこめられているのかもしれません。

 中西先生はこの記事の中で、こうおっしゃっています。
「ことばをかえていえば、この凪は家持に象徴的な平和への願いをまるごと抱え込んだ、心の安らぎへの喜びだったといえる。単純に、風の無い海が展がっていたのではない。おそらくすべての人にとって、ひとつひとつの旅は、生涯の、しかも心の断片なのであろう。人間には所詮「わたし」という個人しかいないのだから。「わたし」という全体を外れた旅はない。全生涯の旅の、ジグゾーパズルのような、ひとつひとつの旅。人生の旅とはたくさんの山々を越えていく道程であって、いくつものとうげを越えつづけて、人生の曲折に現れる新しい風景を見つづけていくことだと思われる。そしてとうげを、人生に幾つ越えるのかは、だれも知らない」

 和歌は素敵ですね。この文化は日本にしかない。もし、ほとんどの日本人が、和歌を詠めるようになると、日本のいろいろな問題のほとんどは片付くでしょう。

 では、拙首です。

さまざまな ことにであふは 天からの 授かりものとは 知りながらも

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このページは、宝徳 健が2011年12月22日 08:36に書いたブログ記事です。

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