未来日本昔話(朝鮮半島の真実 その5)

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 しばらくお休みしている「大東亜戦争の真実」は、後日また再開します。せっかくあそこまで書いたのですから、最後まで書きますね。

 さて、時は2111年。こんな愚かな社会主義左翼政党を愚かな国民が政権政党にしてしまったため、日本はつぶれてしまっています(仮定)。おばあちゃんとまさる君の会話です。
ま「あーーーー、よく食べた。おばあちゃん、鹿児島の黒豚は最高においしいね」
お「そうだね。おばあちゃんも、久しぶりに食べたよ。おじいちゃんが生きていたころは、華蓮というお店によく行ったものさ。東京と大阪と福岡と鹿児島にあるんだ。もちろん、本店は鹿児島だよ。ここのせいろ蒸しはおいしくてねえ。まさる、今度、おばあちゃんと行こうか」
ま「うん、行こう!」

お「おばあちゃん、うれしいよ。さて、どこまで話してくれてたっけ?」
ま「朝鮮半島にソ連が乗り込んできたところまで。終戦直後、朝鮮半島の北部をソ連が占領し始めたんだ。これまでは、日本軍が強すぎて、ソ連は満州にも北朝鮮にも入ってこられなかったからね」
お「ソ連は、それがくやしかったんだよね」
ま「うん。ソ連軍は、昭和二十年十月までに「各地で自発的に生まれた」という名目の「人民委員会」を組織して、これらを管理下においていくんだ。これがソ連の事実上の朝鮮北部支配になるんだ」

お「そうだね。少し補足すると、朝鮮北部を占領したソ連軍は、朝鮮語がわからなかったんだ。だから、ソ連軍が朝鮮を支配するためには、軍事力で実効支配するだけでなく、朝鮮語を話す人間を使って統治する必要があったのさ。その手足となったのが朝鮮人の「共産主義者」だったんだ」
ま「さすが、おばあちゃん!」
お「そりゃあ、死んだおじいちゃんの愛する妻だからね」

ま「(笑)。ソ連は、その共産主義者に、日本軍から押収した銃器と金と食糧を与え、さらには自分たちが強姦した後の日本人女性までも与えたんだ。朝鮮人共産主義者にしてみれば、飯が食えて金がもらえて、今まだ支配者だった高貴な日本人女性まで強姦できて、金持ち日本人の財物も奪いたい放題というわけだったんだ。そういうことを喜ぶ人間が、北朝鮮の「人民委員会」のメンバーで、その親分が金日成だった」
お「そうだね。事実、北朝鮮は世界有数の工業国家だった。みんな貧しい朝鮮を助けるために、日本人が建設したものだったけどね。だから、戦後、十数年間の北朝鮮は、とても裕福だった。でも、日本の民主党政権と同じで、社会主義左派というのは、建設や生産をしないで、徴収と分配しかやらない。国家経済はすぐに破たんしたんだよ」

ま「社会主義というのはひどいものだね。それと、おばあちゃん、当時アメリカにいた李承晩は、呂運亨(ヨウニヨン)という立派な人が率いる「朝鮮人民共和国」について、米国であらゆるロビー活動を展開し、「朝鮮人民共和国」には、ソ連に煽動された共産主義者たちが混入しているからこいつらを追い出せ、ってやったんだ」
お「アメリカ人は、おバカだからすぐにロビー活動に乗ってしまうからね~」
ま「うん、李承晩は、金日成率いる共産主義者を駆逐したあと、米国占領軍の力を借りて、統一朝鮮を建国すればいいという野心を抱いていたんだ」

お「米国政府内にスパイを大量に送り込んでいた、モスクワ・コミンテルン(ソ連:共産主義の総本山)は、そんなこと、とっくの昔に織り込み済み。百も承知だったんだろう?」
ま「そうなんだ。金日成にしても、せっかく朝鮮半島北部を制圧したのに、そこから追い出されたらたまらない。それに、おばあちゃんがさっき言ったこと。北朝鮮には、日本が建設した世界有数の工業地帯があった。その富は、絶対に押さえる必要があったんだ。富があり、武力があり、ソ連のバックアップがある、そんなおいしい話を金日成が手放すわけがない」

お「そうして、李承晩に引きずられたアメリカが。、朝鮮半島内の共産党対策にてこずっている間に、北朝鮮の金日成は、さっさと「朝鮮臨時人民委員会」を立ち上げてしまった」
ま「北朝鮮に遅れること十六か月、李承晩が親分の「南朝鮮過渡政府」が昭和二十二年(1947年)六月にできた」
お「そうだね」
ま「そして、朝鮮戦争がはじまる」
お「うん」

ま「おばあちゃん・・・・・」
お「なあに?」
ま「何か、おやつない?」
お「(笑)、まあまあ、はいはい。そうだねえ、まさる、いいものがあった。前にも食べたね。甲子園にある大黒屋の豆大福があった。昨日買っておいたんだ」
ま「やったーーー、大好物、いっただきまーす」

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このページは、宝徳 健が2012年1月 2日 04:21に書いたブログ記事です。

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