和歌

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。

 正岡子規の「歌よみに与ふる書」の第三章(といってもこの本は章立てにはなっていませんが)の「三たび歌よみに与ふる書」です。現代語訳です。

 正岡子規がいなければ、和歌はどうなっていたかわかりません。明治の人たちは、何かで日本一になりたいという欲求を強烈に持っていました。正岡子規は、最初、哲学の道を目指したのですが、自分より秀才がいることに気づいて、哲学の道をあきらめました。

 それがよかったのですね。私の大好きな歴史上の人物です。
「前略、歌よみのように馬鹿な、のんきな存在は他にはない。歌よみのいうことをそのまま聞くと、和歌ほどよいものは他にはないと誇りに思っている。歌よみは、歌より他に何も知らないために、歌が一番良いようにうぬぼれている。彼らは歌に最も近い俳句すらまったく学んでいない。十七文字あれば川柳も俳句も同じと思ふほどの、のんきさであれば、まして、支那の詩を研究するでもなく、西洋には詩というものがあるやらないやら、それも知らない文盲浅学、まして、小説なども、和歌と同じ文学というものに属すんだということを聞くと、目をむいて驚くほどである」つづく。

 拙首です。

苦しければ 苦しいほどに 今までの 人から受けた 恩を見出す

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/3219

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2012年1月12日 05:13に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「思い込みの怖さ(1月10日の日誌)」です。

次のブログ記事は「本当にいいのだろうか?(1月11日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。