母から姉から甥姪から子へ

| コメント(0) | トラックバック(0)
 この記事は右のカテゴリー「和歌」に格納されています。

 家の書棚を眺めていました。
 私の母が、姉のために買った文学全集がありました。なつかしいなあと思って眺めました。

 母は中学生の頃、とても頭がよかったので、地域で一番の高校に進もうと胸を躍らせていました。ところが、受験当日の朝、祖父と祖母から「お金がないので、受かっても行かせられないから、今日の受験は受けないでくれ」と言われて愕然としたそうです。受験に来ない母を心配して、担任の先生が「〇〇、今からならまだ間に合う。先生が、自転車の後ろに乗せて連れて行くから、早く出てきなさい」と何度も、家の外で叫んでいたそうです。祖母が、「〇子は、今、家にいません」と先生に告げても、先生はあきらめずに叫んでいたそうです。母は、風呂桶の中に隠れていたそうです。きっと、この世のすべてを流し尽くすほどの涙を流しながら。

 ですから、子供たちにはレベルの高い教育を受けさせようとする意志はとても高かったように記憶しています。ただし、今の、教育ママのように目的もない知識の要求や、就職のための大学進学というおよそ大学をアカデミーであることを否定する大学入学は要求しませんでした。子供たちが勉強をしやすい環境を作ろうと努力していただけです。

 この文学全集もそのひとつなのでしょう。特に女の子の姉には、文学的な素養をつけてほしかったのでしょう(私にこの本を読めとは言わなかった)。姉に、息子と娘が生まれて(つまり、私の甥と姪)、この全集が引き継がれました。甥と姪が二人とも社会人になり、私の息子に引き継がれました。

 おそらくこの全集は、甥や姪の子らに引き継がれ、そして、また私の息子の子らにくるのでしょう。母の命のリレーが続くのですね。

 拙首です。

子や孫に 母の無念が 引き継がれ 母の命も また引き継がれ

 本棚から、その中の万葉集(一)を借りてきました。私は万葉集が大好きです。詩というのは、欧米では貴族の特権でした。天子から以て庶人に至るまで詩を詠めた国は日本しかありません。明日から正岡子規と交代で紹介していきましょう。

 では、シリーズで紹介している、正岡子規の「歌よみに与ふる書」の現代語訳です。今日から「人々に答ふ」です。

 歌のことについては、みなさんよりいろいろご注意、ご忠告をいただきかたじけなく、お礼申し上げます。あるひとから、嘲笑と罵詈雑言をいただきまして、誠に冥加を感じます。早速お礼かたがた、ご挨拶に行かなければならないとこと、病気にかかってしまって、数日来机につくことができずにおりました。数百年の間、常に腐敗していた和歌の上にも、特に腐敗の甚だしい時代が今であるのですが、私のような常に病にある者でも、またさらに病気になるのですから仕方がないのでしょうかねえ。

 子規が皮肉っていますね。彼独特の表現です。面白い。次回に続きます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/3515

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2012年4月21日 08:12に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「不安との付き合い方」です。

次のブログ記事は「くやしさ1割、うれしさ9割(4月20日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。