星になる子供たち

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 だいぶん、前になりますが、新聞にある記事が掲載されていました。
 兵庫県加西市で、昨年12月、皆既月食を観測しに外出した帰り、車にはねられて死亡した小学生二人の兄弟がいたそうです。

 その兄弟二人をしのび、兵庫県内の天文学者らが、発見した小惑星に2人の名前をつけ、国際天文学連合会に登録申請して認められました。星の名前は「Atuhirotaisei」(あつひろ・たいせい)。

 子供の虐待のニュースがたくさん報道されます。気が狂うぐらい悲しくなります。私は、自分の子供が、明日をもしれぬ病気になったとして、神様が「お前の命をくれるなら、子供の命を助けてやろう」とおっしゃったら、何の迷いもなく、一瞬で快諾します。 自分の命よりも大切な子供を虐待することなど、まったく、絶対に理解できません。

 新聞に、この兄弟の写真が載っていました。ちょっとやんちゃそうですが、二人とも良い顔をしていました。お父さん・お母さんが懸命に育てた顔です。深い悲しみに落ちていることでしょう。ご冥福をお祈りします。

 あつひろくん・たいせいくん、星になって、日本を見守っていてね。

たへられぬ 悲しみの中 生きている 高いみ空の 星の輝き

 正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。「人々に答ふる」の続きです。

行くも花 かへるも花の 中道を 咲き散る限り 行きかへり見む

 このような歌は、あるいは一般的には受けるかもしれない。しかし、私からすればこの歌は、ただ厭味をだらだら感じるだけである。

 咲き散る限りとは、いったいどういう意味なのかわからない。もし、花の咲いたり散ったりする間という意味ならば、時間がかかりすぎて、八田の「うつせみの我が世の限り見るべきは」と同じことで、少しも現実味がないではないか。また時間ということではなく、花の中道の長さをいうものだとしても、言葉を巧みに弄しているだけである。なんの趣もないくだらない歌である。

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このページは、宝徳 健が2012年5月20日 05:46に書いたブログ記事です。

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