意見を述べてはだめなのだろうか?

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 支那や北朝鮮やロシアでは、政府のやることに反対したら殺されます。
 つまり言論の自由がないのですね。

 でも、最近の日本もよく似ています。

 原発問題に関して、意見を述べる場で、電力会社の社員がいたと言って非難が起きています。マスコミもそれに便乗しています。だめなのでしょうか? 私は何も違和感を感じません。

 以前、国民とメディアが批判非難で殺してしまった、日本にはかけがえのない優秀な政治家だった、故中川昭一氏が「日本でも核兵器保有の『議論』をする必要がある」と発言したらメディアや一部の国民の大バッシングを受けました。議論さえできない国なのでしょうか?

 安倍晋三氏が、「戦後レジームから脱却」「美しい国へ」をかかげ内閣を作ったときに、敗戦利得者のメディアを中心に、世論が操作され、あのすばらしい内閣が崩壊してしまいました。日本は本当にもったいないことをしました。あの内閣が続いていたら今の日本はすばらしく成長していたでしょう。

 支那や北朝鮮やロシアと違って、「政府」ではありませんが、メディアや一部の心無い国民が発言することに逆らったら、謀殺されてしまうようなのが今の日本の国です。これって、言論の自由はないの?ってことです。つまり、言論を封殺している機関は違うけど、日本も北朝鮮や支那やロシアと一緒です。

 尖閣に支那の船が不法侵入して日本の海上保安庁の船に体当たりしたとき、心ある人は、東京でデモを行いました。メディアは一切報じませんでした。

 今回、原発反対のデモが首相官邸を包囲しました。メディアは大々的に報じました。

 4月28日はサンフランシスコ講和条約発効の日です。つまり、日本があの屈辱的な敗戦後のアングロサクソンによる占領から独立した記念すべき日です。なのに、4月28日はメディアはまったく報道しません。日本がサンフランシスコ講和条約で独立したという立場をとると、東京裁判で独立したとする敗戦利得者の主張とあわなくなるからです。

 本当に原子力技術開発はだめなのですか? 

 世界で最も軍事力と核兵器が密集しているこの極東地域で、日本の安全保障を国民が議論することはだめなのですか?

 東京裁判史観という過ったものの見方から、尊厳を持って独立したサンフランシスコ講和条約を基準に戦後史観を考えるという「正しいこと」をしてはだめなのですか?

 日本はいつから独裁国家・言論封殺の国になったのでしょうか?メディア独裁に不勉強な国民がだまされています。

過った 国家のあり方 おしへられた 六十数年 とりもどせるか

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このページは、宝徳 健が2012年7月18日 03:19に書いたブログ記事です。

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