隻手の音声 その3(せきしゅのおんじょう 八月十一日の日誌)

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 相対から人の悩みが生じるというところまで申し上げました。

 日本では邪教が多いので宗教に触れるというと少し頭がおかしいと思う人がたくさんいます。本来の宗教は正しい人の生き方を自らが心の中から見つけ出していくというものです。
 
 また、キリスト教・イスラム教と仏教はまったく違います。前者は排他的であり、後者は受容的です。前者は、自らの神だけが絶対的な存在です。仏教には釈尊はいますが、釈尊は「自分を信じろ」とは一切言っていません。「神と契約しろ」という強迫的観念もありません。
 この相対的なことが自分を苦しめるということもそうです。仏を信じることでそれを解決しろとは一切言っていません。

 仏教、特に禅は、対象と自分とを相対的に並べて見たり考えたりする態度を、より一層高い立場で一つに統一した認識へと導きます。

 止揚です。アウフヘーベンです。真のリーダーシップとはただ業績を挙げるとかマネジメント能力が優秀ということではありません。このアウフヘーベンができなければリーダーとは言わないのです。つまり、真のエリート教育です。今の日本にはエリート教育は存在しません。かつての日本の教育は違いました。

 小学校の「小学」とは、社会に出て人として恥ずかしくない当たり前のことをするという意味です。ほとんどの人が尋常小学校または尋常高等小学校を卒業したら社会に出てお国のために働きました。

 旧制高校や大学の「大学」とは、身を慎み人の幸せを統べる人間性を身につけさせるところでした。アウフヘーベンです。この素晴らしい教育を、ものの見事に私たちは破壊しました。

 では、より高い立場で見るということはどういうことなのか。

 例えば、私が花を見るとします。この場合、私が花を見ているので、私と花が相対になります。もしそこに、菊などの他の花が咲いていると、私は「どちらを見ようか」とえり好みします。これも相対です。

 「今、花を見る自分と、見られる花が、自分か花かのどちらかに同化して一つになってしまう」ことが相対を解消します。すると「見る」が「観る」に変わります。

 どういうことなんだ? と考える方がいらっしゃるでしょう。明日紹介します。

 一言断っておきますが、私が出来ている訳ではありません。こういう生き方を目指しています。

【世間でいうところの「盆休み」中の目標(八月十一日~八月十六日)】
最高の六日間を過ごし、クライアントや仲間により一層応えられる成長を実現する
①懸案事項の完結15個 二つ いけないけない
②本10冊 2冊
③手紙50通 7通
④勉強30時間 30分
⑤情報収集案件3つ まだです
⑥新ビジネスモデルを5つ まだです
⑦新規提案を5つ まだです
⑧ロングブレスダイエットを毎日やる 昨日やりました

【八月十日の食事】

朝ごはん:野菜ジュースとヨーグルト
昼ごはん:エビチリ定食
夜ごはん:軽くつまみながら中学の同級生と

【ルーティン】
<自己の成長>
①私は毎朝、朝のおつとめをします(皇居遥拝、宗像大社遥拝、神棚拝礼)〇8/11
②私は毎朝、3つの唱和をします(般若心経、教育勅語、大祓詞)〇8/11

③私は毎朝、新しい暗唱を少しずつします(今は、大学と終戦の詔書を完璧に覚える)〇6/11

<仕事の実現>

④私は毎日、新しいビジネスモデル構想を1つノートに書きだします(完成ではない)×9/11
⑤私は毎日、未決管理表を詳細に読み込みます〇10/11
⑥私は毎日、全クライアントのことを3分以上考えます〇11/11
⑦私は毎日、5年間の夢、1年間の夢を3分以上眺めます〇11/11
⑧私は毎日、10分以上次の事業づくりの勉強をします〇10/11  
(69/7 88.5%) 

<7月にやること>
 手紙 150通以上 44通  
 読書 10冊以上 6冊
 新規提案 20社以上  4個 
 新ビジネスモデルづくり10個以上 2個 
 士魂商才八月号:
 
【毎週やること】
 次週計画・今週検証(毎週木曜日近辺にやります) 
8月5日:〇、8月11日:〇

【行動規範:八戒】
いつも最悪の事態を想定せよ
そして、今日一日の最良の行動をとれ
自分のことばかりしゃべるな(ブログでは勘弁ね)
自分以外の人に強い興味を持て(ただし、必要以上に期待をかけるな、過去の出来事のこだわるな)
自分の馬鹿加減を常に思い出せ
人から受けた恩は忘れるな
人へ施した恩はすぐに忘れろ
小さな仕事こそ丁寧にやれ

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このページは、宝徳 健が2012年8月12日 04:29に書いたブログ記事です。

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