藤田東湖 正気の歌

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 続きです。体がピシッとしますね。何度読んでもすごい歌です。日本人が知っておく必要がある歴史の考え方が詰まっています。幼いころ、この歌を暗誦させたら大和男児ができます。一本骨が通った男が。

忽(たちま)ち龍ノ口(たつのくち)の歛を揮(ふる)ひ、虜使(りょし)、頭足分かる。
忽ち西海の颶(ぐ)を起し、怒濤(どとう)妖氛(えんふう)を殲(つく)す。
志賀、月明(あきらか)なる夜、陽(いつは)りて鳳輦(ほうれん)と爲りて巡る。
芳野、戰(たたかい)酣(たけはな)なるの日、又、帝子(ていし)に代りて屯(たむろ)す。

【現代語訳】
同じく、北条時宗。建治元年(1275年)、降服迫る「元」の使節を虜にし、
相模の国は竜の口にて切り捨てて、正気は玄界灘の猛風を起こし、
怒濤とともに外国軍の異様な気配を滅ぼし尽くした。
後醍醐帝の御代のこと。元弘の変(1331年)。討幕の企て洩れて、
志賀の比叡山に逃れた夜は明るい月夜。
さらに藤原師賢(もろかた)ら、帝の御衣(みけし)を借り、
帝の乗り物にて行幸を偽り、延暦寺へ。帝はその間に笠置山へ移りたもう。

燃えるような 思ひ行ひ 積み重ね 國創りゆく 大和魂

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このページは、宝徳 健が2012年8月30日 22:56に書いたブログ記事です。

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