燈火不截爪

| コメント(0) | トラックバック(0)
 この記事は右のカテゴリー「和歌」に格納されています。

 お亡くなりになられましたが、私淑する松原泰道先生のご著書に「禅語百選」というものがあります。
 副題が「人生の杖のことば、いのちの言葉」です。なぜ前半の「ことば」がひらがなで後半が漢字なのでしょうか? 読み込んで松原先生のお心をつかみます。

 松原泰道先生は、明治四十年(1907年)東京で生まれです。そして、平成二十一年(2009年)にお亡くなりになられました。百一歳でした。亡くなられたことを聞いたときは悲しくてなりませんでした。何度、先生のご著書に助けられたかわかりません。人生とは迷える旅です。ときどき、どこに行っていいかわからないときがあります。苦しくても、方向性さえわかっていれば耐えることが出来ます。最もつらいのは方向性を自分で見つけることができないときです。

 そういうときには、先人の智慧を借りるしかありません。松原先生のご著書は、迷える私を何度も救ってくださいました。そして、今も、繰り返し読んでいます。

 この本は、毎日少しずつ読むと心がポッと明るくなります。今日のタイトル「燈火不截爪」もこの本に載っている言葉です。「燈火に爪を截(き)らず」と読みます。

 白隠禅師の言葉です。「灯りの下で爪を切るな」というのは、昔親から言われませんでしたか? 今は死語になっていますが。「灯りの下で爪を切ると親の死に目に会えない」と言われたんですが・・・。私が古すぎますかね?

 暗い灯火の下で爪を切ると、怪我をする恐れがあります。それを戒めて親の死に目に会えないよと諭したのかもしれません。

 つまり、暗い照明下で爪を切るということは、自分のハサミで自分を傷つける愚かさを指します。なまじっかの知識は、自分を損なうことを意味します。

 禅においては、この照明は、知恵を指します。知識ではありません。自分のなかに明るく輝く光を自覚出来たら、自分も他人も一緒に照らすことが出来ます。怪我をするどころか自他ともに幸せにすることが出来ます。爪を切っても怪我をせずに、自他を照らす仏の知恵に目覚めよ、との誓願に自己を燃焼することが大切だと白隠禅師は教えます。知識と言う薄暗い照明だけでは生きていけません。

 みなさん、すごいと思いませんか? こんなすごい言葉を、かつての日本人は生活の中で普通に使っていたのです。ITで頭がぼけている今の日本人では、こういうことはできませんね。

父母(ちちはは)が 燈火の爪を 子に教ふ 知恵の教へが 命に宿る

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/3907

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2012年8月25日 01:32に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「事業信託 その4(民事信託)」です。

次のブログ記事は「布施(八月二十四日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。