徳富蘇峰 終戦後日記(十一月二日の日誌)

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 今日から東京に行くので、新幹線の中で三~四冊読もうと思って、本を探しに本棚に行きました。すると「おい、いつになったら俺を読むんだ!」という声が聞こえました。
 ずっとずっと読みたくて、でも、分厚いので少しだけ逃げていた本があります。

 それが「徳富蘇峰 終戦後日記」です。

 手に取りました。まだ読んでいないのに、あらすじが心の中に現れます。我慢できずに読み始めました。戦前戦後の言論界の長老です。ジャーナリストでこんなにすごい人がいたのですね。今の朝日新聞や毎日新聞や共同通信、そして、NHKのくだらないジャーナリストに読ませてやりたい。どんな顔をして読むのだろうか。

 こんなにすごい人がいたなんて。

徳富蘇峰
 1863年熊本県生まれ。1887年上京して民友社を結成。雑誌『国民之友』『国民新聞』を創刊し、日本の近代史に多大な影響を与えた。貴族院議員を経て言論人、歴史家として活躍し「近代日本国民史」で文化勲章を受章する。1957年九十五歳で逝去。

 またほしい本が増えました。シュペングラーからマクニールの続く、一連の世界史の本を手に入れたので、あとは白川静香先生の「字通」と昭和初期に発刊された「心学道話全集 一巻、二巻、五巻、六巻」が手に入ればいいかなあと思っていたのですが。まだまだたくさんありますね。

 本をむさぼり読み始めたころは、何でもいいから大量に本を買っていました。最近は、信じられないぐらいの名著が私のもとに嫁いできてくれます。 こんなに幸せなことが他にあるのだろうか。

 この「徳富蘇峰 終戦後日記」は、蘇峰がお孫さんに、百年後の日本人に信を問うので、自分の死後、頃合を見計らって世に出すようにと命じられていたものです。蘇峰は「頑蘇夢物語」というタイトルで出すようにと命じたのですが、わかりにくいのでこのような本のタイトルになりました。でも、中身では「頑蘇夢物語」となっています。

 あの戦争で負けたのは、アメリカが強かったのではなく、日本内部の責任だと断じています。昭和天皇にさえ提言しています。

 こんな人がいたのですね。こんな人を創りだす昔の日本の教育とは素晴らしかったのですね。

 この本は、読んだら親父にプレゼントします。親父、早く治して、これ読んでくれ。

【十一月二日の食事】

朝ごはん:忘れた
昼ごはん:いろいろ
夜ごはん:讃岐うどん

【ルーティン】
<自己の成長>
①私は毎朝、朝のおつとめをします(皇居遥拝、宗像大社遥拝、神拝礼)〇2/2
②私は毎朝、3つの唱和をします(般若心経、教育勅語、大祓詞)〇2/2
③私は毎朝、新しい暗唱を少しずつします(今は、大学と終戦の詔書を完璧に覚える)×1/2
<仕事の実現>

④私は毎日、新しいビジネスモデル構想を1つノートに書きだします(完成ではない)〇2/2
⑤私は毎日、未決管理表を詳細に読み込みます〇1/2
⑥私は毎日、全クライアントのことを3分以上考えます〇2/2
⑦私は毎日、5年間の夢、1年間の夢を3分以上眺めます〇2/2
⑧私は毎日、10分以上次の事業づくりの勉強をします〇2/2  
(14/16 87.5%)

<十月にやること>
 手紙 150通以上 31通  
 読書 15冊以上 0冊 
 新規提案 20社以上  0個 
 新ビジネスモデルづくり10個以上 0個 
 士魂商才十一月号
 
【毎週やること】
 次週計画・今週検証(毎週木曜日近辺にやります) 


【行動規範:八戒】
いつも最悪の事態を想定せよ
そして、今日一日の最良の行動をとれ
自分のことばかりしゃべるな(ブログでは勘弁ね)
自分以外の人に強い興味を持て(ただし、必要以上に期待をかけるな、過去の出来事のこだわるな)
自分の馬鹿加減を常に思い出せ
人から受けた恩は忘れるな
人へ施した恩はすぐに忘れろ
小さな仕事こそ丁寧にやれ

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このページは、宝徳 健が2012年11月 3日 05:59に書いたブログ記事です。

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