茶の花

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 私は小学校三年生二学期から五年生まで、静岡県駿東郡裾野町(現静岡県裾野市)で過ごしました。父の仕事の都合です。

 それはそれは美しい町でした。とてつもない田舎でしたけど(笑)。なんせまだ鉄道が電化されておらず汽車でしたから。「よろづや」という何でも売っているお店がありました。
 農家では水車が回っていました。山や川で一日中遊びました。おやつは、山に入って山葡萄やあけびなどを食べていました。草スキーもしました。雪がよく降ったので、スキーもどきのような遊びもよくやりました。まだ日本が貧しかった頃のことです。スキー道具を買うお金などありません。スキーは、竹を取ってきて縦に二つに割って、火で先っぽを曲げて、紐を通して作りました。スキー場に行くのではなく、自分たちで雪を積み重ねてスロープを作りました。釣りにもよくいきました(川釣り)。エサは、自分で作りました。メリケン粉(古い)に醤油とお酒を混ぜてふりかけを入れてこねます。このエサは魚がよく食いつきます。釣りに行って餌が足りなくなると、川虫をとって餌にしていました。とった魚は何匹かは焼いてそのまま食べました。春になると山菜摘みです。わらびやぜんまいをよく採りました。

 なんといっても、毎日富士山がすぐそこに観えることに感動を覚えずにはいられませんでした。川に流れている水が驚くほどきれいです。遠足には水筒を持って行ったことがありませんでした。そこいらじゅうに、湧水が出ているからです。

 今のように、ゲームで家の中で遊ぶなど信じられません。遊びというのは外でやるというのが常識です。今の子はかわいそうですね。変なおもちゃがたくさんあるから。

 そして、静岡ですから、いたるところに茶畑があります。見事な風景です。お茶は、立冬の頃、つまり今頃、花を咲かせます。真っ白なきれーーーーな花です。

 情緒。この国から失われて久しい言葉です。かつての日本は美しかった。風景だけではなく、人の心も。

茶の花が みなに教へる 肌寒い 冬の訪れ 春への期待

 今、裾野市は、どうなっているんだろう? 行ってみたいなあ。あんなに田舎だったのに、素晴らしい先生がたくさんいました。そして、生徒はとてもよく勉強をしました。もちろんたくさん遊びしました。外で。

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このページは、宝徳 健が2012年11月15日 07:12に書いたブログ記事です。

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