命の電話、命の林檎

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 会社勤めをしているとき、最も尊敬していた方からお電話をいただきました。
 もう何年になるのだろうか? 「癌で数か月しかもたない」というお電話をいただいたのは・・・。それがもうおそらく4年以上、壮絶なる努力で命と戦っていらっしゃいます。

 いつもおっしゃるのは「この世に起きたことで無駄なことは一つもなし」です。

 手紙を出すと、返信を下さいます。手描きの絵はがきで。

 今回、ある贈り物をしたところ、お電話をいただきました。本当に苦しいはずなのに「最後の戦いですよ」とタンタンにおっしゃり、そして、「仕事はどうですか?」と気にしてくださいます。

 「仲間が出来て、来年はとても楽しみです」とお伝えすると「君は優しいからなあ。優しい時の君は、人を惹きつける魅力にあふれているから人が集ってくるよなあ。でも、たまに我が出るときがあるから気を付けてください」と、ありがたいお言葉をいただきました。私が優しい? 我が出るのはわかります。

 命の電話、命の言葉をいただきました。これほどありがたいことはありません。

 その後、林檎を送ってくださいました。この方の郷里の林檎だとか。「おいしい!」。これはおいしい。命の林檎をいただきました。

 私たちは、普段生きているときに「死」を見つめることはありません。昔の日本人は常に「死を見つめながら生きる」死生観を持っていました。だから、その一瞬を懸命に生きることができる。人間は自分のために頑張ることはできません。でも、昔の日本人はこれができました。

 この方もそうです。苦しみいくばくか、私にはうかがい知ることもできません。壮絶な命との戦いでしょう。いただいたいのちの電話と命の林檎に応える力が私にはあるのだろうか。踏ん張って生きます。

いただいた 命の電話と 林檎もて 生きる力と 生き方を知る

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このページは、宝徳 健が2012年12月18日 06:23に書いたブログ記事です。

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