興福寺 その3

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 昨日の日経の文化芸術欄も素晴らしい内容でした。イスタンブールの美術が紹介されていました。日経の日曜日 文化芸術欄は素晴らしい。

 今年は日経主催でルーブルも来ます。絶対に行きます。楽しみでしかたがありません。

 昨年12月23日、30日の日経で掲載された興福寺の記事を紹介しています。今日は、阿修羅とはどんな天なのかを紹介します。

 阿修羅は、古代インドの戦闘神で、その像はほとんどが忿怒相です。最高神のインドラ(帝釈天)に戦いを挑み続け、ついに勝てませんでした。

 フーテンの寅さんで有名な 柴又帝釈天の「帝釈天」はインドの最高神です。

 インドに仏教が興り、古代宗教の神々は、仏教に帰依して釈尊の守護神になりました。

 興福寺の阿修羅像は、他の八部衆(昨日の記事参照)と少し違いますし、興福寺の阿修羅像がなぜ人気があるか。他の7つの像と違って、武具を捨てて、甲冑を脱いで丸腰だからです。戦いに倦んで、内政の世界に深く沈潜しているからです。

 阿修羅像の前に立った時に、あの、不思議な感覚をうまく表現することはできません。

 阿修羅像が安置されていた西金堂は、興福寺の栄華の象徴でした。七百三十四年(天平六年)、光明皇后が前年に没した母の一周忌に建立を発願、本尊の釈迦如来像とともに十大弟子や八部衆などの制作を命じました。

 さて、この光明皇后・・・・・。昨年末にこのブログで紹介した、藤原宮子とつながっています。つづく

兜脱ぎ 鎧はずした 阿修羅像 永久(とわ)の平和を 求め続けて


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このページは、宝徳 健が2013年1月14日 07:25に書いたブログ記事です。

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