再 支那紀行

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 過去のブログ記事が検索できない方のために過去記事を再掲しています。要望の高かった支那紀行から再掲しています。

 2011年11月20日掲載分です。
 1983年2月に、親友のYTJと、まだ個人旅行が、原則認められていなかった支那を旅しました。支那の一番寒い時期です。

 入国する前とあまりにも違うイメージに愕然とした私たちです。世界中を一人旅しているYTJが言いました。「宝徳、俺、ほとんど、世界中いったけどなあ、これほどひどい国ははじめてや」と。

 さて、広州(広東)から、長沙(チャンシャー)に向かいます。電車旅をしようと思っていたのですが、電車がない(に等しい)のです。飛行機に乗りました。
 この飛行機がひどい。みなさん、信じられないかもしれませんが、飛行機の窓から隙間風が入ってくるのです。ヒューヒューと音を立てて。寒い寒い。あまり 高いところを飛んでいないのでしょうね。高いところを飛んでいたら、気圧差で大変なことになってしまいます。

 入国する前に、旅行ガイドブックを読むと「中国民航は、世界でも最も事故の少ない航空会社です」と書いてありました。まったく、当時の支那礼賛もここまでくれば立派なものです。

  最後に行く上海で、日本人ビジネスマンと出会いました。上海といえどもまだそんなに日本人がいない時です。懐かしかったのでしょう。話しかけていただい て、住んでいらっしゃるホテルに招待してくださいました。ご馳走になりました。その方がおっしゃいました。「そんなもの、事故が起きても報道していないだ けだよ。実際には、しょっちゅう墜落しているよ」。

 背筋が凍りました。実際に乗っているから、墜落する可能性が高いことがわかるからです。知っていたら、どんなに苦労しても、電車で回ったでしょう。

 支那政府にとってはこんなことどうでもいいのですね。国民が死のうが生きようが。この前の、高速鉄道の事故をみればわかりますよね。

  戦争をしても、支那には、他国にない「督戦隊」というのがいます。戦線の一番後ろで銃を持って構えています。敵国に対する防衛ではなく、自分の国の兵隊が 逃げてきたら、撃ち殺すためです。ひえ~。国民の命を命とも思わない。だから、天安門事件などというものが起きます。もっとも、支那の若者は天安門事件を 知らないらしいですが。

 実際に、コートとセーターの下に、シャツを何枚も着ないと耐えられないぐらい、寒いのです。

 何時間かかったかなあ。覚えていません。

 さて、長沙に着きました。つづく。

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このページは、宝徳 健が2013年2月21日 03:08に書いたブログ記事です。

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