再 支那紀行

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 このブログの過去記事がうまく検索できない方がたくさんいらっしゃることから、過去記事を再掲しています。まずは、ご要望が強い「支那紀行」から。右のカテゴリー「宝徳 健」に格納しています。

 2011年11月25日の記事です。
 ある方から、28年も前のことをよく覚えているなあと言われました。間違いの記憶もあるかもしれませんが、楽しかったことや面白かったことは覚えています。困ったことも。嫌なことは忘れるたちですが。ほぼ正確だと思います。

 長沙での食事の話です。
 ホテルのレストランに行きました。私たちが珍しいのか、ウエイター・ウエイトレスが私たちのテーブル周りを7~8名取り囲みます。メニューが渡されました。

 大体何が書いてあるかわかるので、「これ」と注文すると「メイオー(ない)」と言います。「じゃあ、これ」というと、また、「メイオー」。次々頼んでも次々「メイオー」です。そのたびに、彼らはお互いの顔を見合わせます。

 「じゃあ、このメニューは一体何なんだ」と聞きます。どうやってきいたのかなあ?英語だったかなあ?日本語は彼らがわからないし、支那語はこちらがわからないし。確か英語でした。

 すると「これは外国人旅行者向けのメニューだ」と答えました。「自分たちも外国人旅行者だ」と言うと「お前たちは、団体旅行じゃないから外国人旅行者にはならない」「でも、ここは外国人旅行者専門のホテルだろう?」

 こういう会話は支那旅行中、何度も起きました。そして、最後は、必ず責任回避です。

 しかたがないので、「じゃあ、何を食べることができるんだ」と聞いたら、「みぇ~~~ん」全員が口をそろえて言うではないですか。「???」。何回か、「みぇ~~~ん」と彼らが念仏のように唱えたとき、YTJと二人の頭に中に、ある文字が浮かびました。「麺」です。

 最終的に、五目そばのようなものを食べました。でも、でも、でも・・・。

 それが、うまいのです! 長沙は、その後、屋台や外のお店で食事をした記憶がかすかにありますが、どこもおいしかった感覚は残っています。

 文化に触れたい・・・。これが、二人の願いになりました。「宝徳、西安に行こう」。YTJが言いました。「そうだな」。

 こうして二人は、昔の長安の都、今の西安に向かうことになりました。 つづく。

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このページは、宝徳 健が2013年2月28日 02:26に書いたブログ記事です。

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