源氏物語を読むコツ 紫式部とは

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 いずれ、源氏物語はぜひ、読めるようになってください。世界で類を見ない平安朝の女性文学は我が國國民は読む必要があります。

 でも、源氏物語を読みきるには、いくつもハードルがあります。そのハードルを少しずつ低くしていくのがこのシリーズです。今日は、紫式部のことについて書きましょう。

 紫式部は、973(天延元)年ごろ、中流貴族の藤原為時(ためとき)の 娘として生まれました。本名は定かでなく、「紫式部」という呼び名は『源氏物語』の女主人公「紫の上」に由来するといわれます。998(長徳四)年に藤原宣孝 (のぶたか)と結婚、娘の大弐三位(だいにのさんみ)をもうけますが、三年後に夫と死別、その頃から『源氏物語』の創作を始めた、とされます。1005(寛弘二)年ごろ、藤原道長の娘で、一条帝の中宮である彰子のもとに出仕します。当時の男性の必須の学問であった漢文に通じ、「日本紀の御局(にほんぎのみつぼね)」とあだ名されたことなど、宮廷での暮らしぶりは、 同じ作者の書いた『紫式部日記』などから知ることができます。  

 紫式部日記は、紫式部が、平安時代、1008(寛弘五)年七月から1010(同7)正月までの約1年半の間に書き遺した日記。 藤原道長の娘であり一条天皇の中宮であった彰子に仕えた紫式部が、彰子の二度の皇子出産とその祝賀の華やかな様子を中心に、 当時の権力者道長をめぐる様々な平安貴族の様子を生きいきと描き出した日記文学の傑作です。 「紫式部日記絵巻」は、それを約250年後の鎌倉時代前期に絵巻にした作品。もとは全十巻程度の巻物であった。 現在はその約4分の1にあたる四巻分が伝わっています。

■五島本第一段

 
五島本第一段 絵 五島本第一段 詞書
詞書

■五島本第二段

 
五島本第二段 絵 五島本第二段 詞書
詞書

■五島本第三段

 
五島本第三段 絵 五島本第三段 詞書
詞書


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このページは、宝徳 健が2013年4月17日 05:08に書いたブログ記事です。

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