昭和天皇誕生日

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 今日は昭和天皇のお誕生日です。

 歴代の天皇陛下の中で、もっとも苦しい思いをされた昭和天皇です。國民みんなで祝いましょう。

 陛下はこの素晴らしい豊葦原の瑞穂の國を身を挺してお守りくださいました。なのに、私たちはこんな國にしてしまいました。昨日のメディアもひどかった。
 昨日は、読売新聞、産經新聞がとても充実していました。日経の春秋は相変わらずひどかった。メディアの使命とは、民主主義を守るために真実を報道することです。書き手の思い込みで世論を誘導することではありません。

 沖縄の報道がNHKでたくさんなされていました。では、真実を伝えましょう。控えていましたが、もうがまんなりません。本当にNHKの報道が沖縄の方々のマジョリティを伝えているのであれば私は何も言いません。沖縄の苦難の歴史を知っているからです。しかり、マイナリティをここまでマジョリティとして報道するNHK(日本破壊協会)と赤いメディアはもう許せません。

 吉田茂が主権回復に関して最も努力したことは、沖縄を我が國から切り離さないことでした。吉田茂は、沖縄の「潜在主権」が我が國に残るためにあらゆる努力をしました。ペリー以来、アメリカは亜細亜進出への拠点として沖縄が欲しくて仕方がなかったからです。

 占領軍の総帥 マッカーサーは、日本の非武装中立が持論でした。その大前提はアメリカによる沖縄領有です。つまり、アメリカは沖縄を奪おうとしていたのです。誰もこの真実を報道しません。この時、もし、吉田茂が日米安保ではなく非武装中立を選択していたら、沖縄はアメリカだったのです。沖縄がの人があんなに嫌う、アメリカになっていたのです。我が国は沖縄の主権を放棄させられていたのです。

 サンフランシスコ講和条約作成の過程で、イギリスは我が國の沖縄放棄を主張しました。吉田茂は猛反発しました。アメリカに対し、イギリスの主張は我が國と連合軍との連携を台無しにすると強い言葉で訴えました。

 潜在主権が残る形の講和条約でなければ、恐らく、沖縄の本土復帰は不可能だったでしょう。尖閣の議論も起きていません。

 サンフランシスコ講和条約で、我が国の主権は回復しました。施政権は、沖縄も小笠原なども、アメリカになりましたが、「潜在主権」はこの時回復したのです。

 こういう事実を伝えるのがメディアだろうが!!!

心なき 声から守れ 國民が 豊葦原の 瑞穂の國を

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このページは、宝徳 健が2013年4月29日 09:31に書いたブログ記事です。

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