北清事変の真実1

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今の支那では、北清事変を次のように教えています。

「意気盛んな義和団愛国運動の仇敵視と恐慌を引き起こした。八つの帝国主義国は連合して、中国侵略の戦争を勃発した」。

 北清事変、私たちは学校で義和団の乱と習いました。
 義和団というのは、愛国的団体が侵略者である八か国の外国軍隊と英雄的闘争を拡げたというのが、今の支那の見方です。我が國のおバカな学者もこれに追随している人がいます。

 だいたい学問というのは、真実を探求することが仕事なはずです。それが、どうして、嘘ばかり言う学者が多いのだろうか? 〇〇大学教授という肩書があるので、その人を信じてしまう愚民がいるのも悲しいことです。私があの学者の言っていることはおかしい、と言うと、ただのコンサルタントが偉い大学教授の言っていることに異を唱えるなというような顔で見られることもしばしばです。

 話を戻します。もし、義和団の常軌を逸した外国人や國内キリスト教徒への冷酷な無差別テロさえなければ連合軍の出動もありませんでした。また、日本軍の出動がなかったら、義和団による動乱は鎮圧されず、今の支那があったかどうかも疑問です。つまり、我が國は、支那を救っているのです。義和団の乱だけではなく、何度も何度も。今の支那は我が國が救って、我が國がつくったと言っても過言ではありません。そのたびに、裏切られていますが。

 義和団というのは、もともと白蓮教の流れをくむ迷信的な宗教結社で、「西遊記」の孫悟空などを神として祀るおバカ集団でした。義和拳という拳法を習得すれば刀剣も銃弾も跳ね返すことができると考えていました。「扶清滅洋(ふしんめつよう)」のスローガンで外國勢力を排除しようとし亜mした。義和団の騒動はまたたくまに華北一帯に普及し、二百人以上の白人宣教師やその子供約五十人、そして二万人の支那人キリスト教徒が殺害されたのです。信じられないですね。

 1900年五月、北京にいた十一か国の公使は清国政府に鎮圧を養成しました。ところが、義和団を利用して外国勢力を駆逐しようとスケベ心を持った清国政府は、何もませんでした。

 支那に住んでいた外國人は、なすすべがありません。 つづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/4632

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2013年5月12日 05:26に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「再 未来日本昔話」です。

次のブログ記事は「紹介します(五月十一日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。