北清事変の真実3

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 清國軍が諸外国を裏切り、義和団と組みました。ほとんど軍隊をおいていない各國軍は窮地に陥ります。
 各國は、北京への増派をもくろみますが、圧倒的多数の義和団に天津まで退却を余儀なくされます。

 一方北京にいる各國軍は、露、英、独、日の順で進撃します。我が國が最後尾だったのは兵力が少なかっただけではありません。当時アジアの新興國であるわが国はまだ二等國家とみなされ、軽んじられていました。

 ところが、各國軍が清國側の反撃に攻めあぐねているところへ、我が國軍が最前線に出て、四砲台を相次いで占領してしまったのです。北清事変は、各國が我が国を絶賛することが枚挙に暇がないのですが、これが最初に各國を驚かせたことです。

 清國軍は義和団と合体し、天津の外國人居留地への攻撃を開始しました。その数三万です。これに対して、天津の連合軍は三千しかいません。

 少し各國の増派はあったものの、不足しています。そのとき、福島安正少将率いる臨時派遣隊(第五師団の内三千五百人)が天津に到着しました。当初、我が國は、指弾毎派遣するつもりでしたが、我が國の支那における影響力の増大を嫌ったロシアが反対しました。馬鹿な國です。

 福島少将はシベリア単騎横断で世界に知られた人です。この我が國軍が大活躍をします。つづく

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このページは、宝徳 健が2013年5月23日 07:12に書いたブログ記事です。

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