再 未来日本昔話

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 2010年2月5日掲載分です。
 さて、昨日のおばあちゃんとまさる君(10歳)会話は日米関係でした。今日もそその続きです。
 
「おばあちゃん、昨日の続きを話して」
「はいはい。日露戦争 の際に仲がよかってロシアをけん制していた日英米関係が何で変化したかを話そうね。1902年に締結された日英同盟は、1905年に英国側からのはたらき かけで第二次同盟ができたの。三次同盟は1911年に両国間で合意するんだけど、その時に英国の外相から「米国の一私人から米国を同盟の対象から外すよう に要請があった」との情報が得られたの」
「よほど米国は日本が嫌いだったんだね」
「アジアにおける日本との利権争いをはじめたからね。その後日英同盟は、第一次大戦中に日本が欧州に参戦しなかったという理由で1921年~1922ねんに開かれたワシントン軍縮会議で破棄されたの」
「日本は派兵しなかったの?」
「シベリアには行ったけどね。欧州参戦はアメリカが警戒して出来なかったのと、日本は侵略戦争はしないという意志があったからね」
「で、どうなったの?」
「日本、英国、米国、フランスの四カ国同盟に切り替えられたの。まさる、多国間同盟というものはすごく弱いものなの。民主党が日米中の三角関係を作ろうとして、日本がつぶれたのをみるとわかるだろう?」
「うん」

「日 英同盟さえ維持できていたら、世界大恐慌の後のブロック経済にも巻き込まれなくてすんだんだけどね。それにね、米国は1915年に日本が中国に要求した二 十一か条要求に感情的なほど反発したの。中国は世界の世論を自国に有利に運ぼうと故意に日本が不利になるニュースを流したの」
「外交って情報戦略なんだね」
「そうだよ。ありもしない、南京大虐殺をさもあったかのようにしていた中国をみてわかるだろう。以後、日米関係は悪化の一途を辿り、日米開戦になったのさ」
「そうなんだ・・・」
「まあ、この辺のいきさつは、いずれもっと深く話してあげよう。長くなるからね。でも、民主党政権が米国と離れ、米中が接近する中でそんなことをしてしまった愚はわかるだろう?日本は大東亜戦争のときと同じ過ちを犯したのさ」
「なるほどね。日本はつぶれたわけだ」
「今日は、このくらいにしておこう。さてと・・・」
「うん!今日のおやつは?」
「まあ、この子ったら。今日はね、福岡県の筑紫餅だよ。福岡も今は中国領だけど、こっそり手に入れたからね」
「うん。もぐもぐ。おいしい。これも素朴な味だ~」
「たんとお食べ」

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このページは、宝徳 健が2013年5月31日 12:13に書いたブログ記事です。

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